何もできない自分を認めてもいい?|実は何もできない人はいません
「私にはコレと言って、何もできないし、特別な特技もありません。そんな私を認めてもいいのでしょうか?」
このように感じ、自己無価値感に悩んでいらっしゃる方は少なくありません。
しかし、そもそも「何もできない人」という存在は、本当にいるのでしょうか?
(今回の記事は、心身ともに健康な方を対象に書かせていただきます。それ以外の方をテーマにすると内容が膨大になりすぎてしまうため、その点、ご了承ください。)

「何もできない人」は存在しない:多くの人はプロであり素人でもある
Index
1.「特別に何もできない私」を認めるということ
2.大切なのは「人と比較しないこと」
私は、「何もできない人」など存在しないと考えています。
たとえば、日々の料理、洗濯、買い物。あるいは、テニスやピアノといった趣味。
人それぞれ、さまざまなことが得意で、できることはあるのではないでしょうか。
「料理はできるけど、ピアノは弾けません」とおっしゃる方もいるかもしれませんね。
そう考えると、すべてを完璧にこなせる人なんて、誰もいないということです。
私たちの社会には、有償・無償を問わず、実に多様な仕事や役割があり、それぞれに求められる能力や「できること」があります。
しかし、そのすべての仕事に対応できる能力を身につけている人、すべてを完璧にこなせる人など、いるはずがありません。
このように考えていくと、「すべてをできる人はいない」と同時に、「何もできない人は存在しない」という結論に至ります。

1.「特別に何もできない私」を認めるということ
それでも、「何もできない私」という悩みを抱えている方は、こうおっしゃるかもしれません。
「洗濯や料理くらい、誰にでもできるでしょう?」
「私には、特別にできる何かがないんです」と。
そうなると、「何もできない自分を認めてもいいのか」というテーマは、「特別に何かができない自分を認めてもいいのか」という問いに変わってきます。
しかし、考えてみてください。
「特別に何かができる人」は、そんなにたくさんいるでしょうか?
おそらく、あなたはプロフェッショナルをイメージしているのかもしれませんが、何かのプロとして活躍している人は、ごく少数派です。
「特別に何かができない私を認めてもいいのか」という悩みは、「特別に何かができない限り、自分を認められない」という強い思いからきているのでしょう。
しかし、特別に何かができるプロがごく少数であるにもかかわらず、「プロにならなければ自分を認められない」というのは、一体何を示しているのでしょうか? それは、もしかしたら劣等感なのでしょうか。

私は、次のように考えます。
- 「特別に何かができる人は少ない」
- しかし、「人はその人なりに、何かできることはある」
- つまり、「何もできない人は存在しない」
そして、「特別に何かができる人」、いわゆるプロも、その分野においては突出した能力を持っている一方で、すべてのことができるわけではありません。

2.大切なのは「人と比較しないこと」
「すべてのことをできる人は存在しない」のですから、人と比較する必要はありません。
そして、今、できている自分を認めましょう。
特別な自分を目指す必要はありません。
多くの人は、すべてを完璧にできるわけではなく、ある分野ではプロのように秀でていても、別の分野では素人です。
また、多くの人は素人でありながらも、何らかの面でプロフェッショナルな側面を持っています。
そして、たとえ素人であっても、できることはたくさんあるはずです。
「できない自分」にばかり目を向けるのではなく、「できる自分」に目を向けていきましょう。
「何もできない人」など、この世にいないのですから。