2026年– date –
-
自分史
40-不安に基づく想念・強迫観念について
前回の投稿の続きです。 私の強迫性障害の根本的な原因 私の心の奥底には、「何かを失ってしまうのではないか」という強い不安が根付いているようです。 常に、漠然とした、いえ、むしろ具体的な不安な想念が、頭の中をよぎります。 考えたくもないのに、... -
自分史
39-小学生低学年で発症した強迫性障害
私の強迫性障害は、6歳から8歳頃に始まりました。 その根底にあるのは強い不安です。 そして、強迫性障害は精神疾患の一つです。 私の強迫性障害の発症には、家庭環境、特に両親との関係が深く関わっていると感じています。 具体的には、母の身勝手な暴... -
自分史
38-父は適切な子どもとの接し方・距離感を知らなかった
父は、子どもとの適切な距離感を知らなかった。今、そう思います。 父の過剰な優しさが私の成長を歪めた 父は、本当に優しい人でした。 疑う余地はありません。 しかし、その優しさが、私という人間が成長していく上で、思わぬ歪みを生んでしまったのです... -
自分史
37-くっつき虫の父(子供に対する執着)
父を思い出すと、私の幼い時から、中学生2年生頃まで、常にくっつき虫のように、くっついてこられたように感じます。 それは、子煩悩と表現してもよいかもしれませんが 私は、ペットのような感覚で、父が私に執着していたように感じています。 父の愛は感... -
自分史
36-親が子供に強制で習い事をさせる時、子供に憎まれる覚悟を持つ必要性
親が子供に強制で習い事をさせる時、子供に憎まれる覚悟を持つ必要性 親が本気で子供に習い事をさせる時 親は鬼と化し、子供に憎まれる覚悟が必要です。 父は私をピアニストにしたかった、しかし、ピアニストになるには、ピアノの英才教育、厳しい教育が必... -
自分史
35-中途半端なピアノのレッスン・子供時代を奪う
さて、音大の助教授にならいはじめたピアノですが、 日々のピアノのレッスンは中途半端なものでした。 おそらく、父は、日中は自分1人でピアノを練習するようにと言っていたと思います。 私も日中は、45分程、1人で嫌なピアノの練習をしていました。 ... -
自分史
34-嫌々習うピアノと感情抑圧と自己抑圧
小学生、2年生頃より、音大の助教授にピアノを習いはじめました。 でも、私はピアノを弾いても楽しいという気持ちはまったくなく、将来、ピアニストになろうとか。まったく思っていませんでした。 端的に書くと、ピアノが嫌いでした。 その嫌いなピアノを... -
自分史
33-親が子供に習い事を勧める時の注意点等
私は小学生2年生頃まで、習字、水泳、ビアノを習っていました。 ピアノは近所の幼稚園で習っていました。 ピアノを習うと、家で練習をしなければなりません。 時間を奪われます。 水泳は土曜日の午後から。 当時小学校は、午前中は授業、午後からは自由で... -
自分史
32-父が私に習わせているピアノに対する異常と異様性|小学生低学年
さて、私は幼稚園低学年時より、気がつけばピアノを習っていました。 幼稚園低学年時は東京。 その後、京都市へ引っ越し。 京都市でもピアノは、幼稚園内の教室で、ピアノを習っていました。 おそらく、YAMAHA等音楽教室の先生が、幼稚園のピアノを借りて... -
自分史
31-小3|子供の宿題を勝手にしてしまう父。子供の自信につながらない
小学生時、父が2回程、私の学校からの宿題、課題を勝手にしてしまったことがあります。 1つめ、版画。 2つめ、学校から支給された板を組合せ車をつくる 1つめの版画については、市から賞状を頂いたのですが、本来、私が家で行う課題であり、私は何もし... -
自分史
30-学校における体育の時間って何の意味があるの?
私は運動音痴な子供でした。 運動音痴というか、体がうまく言うことを聞かない こんな感じです。 さて、小学校でお馴染みの鉄棒。 私は逆上がりが出来ませんでした。 それを母に言うと、小学校の鉄棒の前に連れていかれ 出来るまで、練習をさせられました... -
自分史
29-家から放り出された怖い記憶がない(小学生低学年)
私は成績が悪いと、しょっちゅう、母に家から放り出されていたようです。 他人事のように書きましたが 私には、この記憶がないのです。 でも、事実です。 人とは不思議なもので、自分が生きる為、怖い記憶を封印、思い出せないようにしてしまう傾向がある... -
自分史
28-親が子供のビッグマウスを否定することは子供が夢を持つことを否定すること
子供とは無邪気に遊び、時には、親もびっくりするような大人にたりたい 職業に就きたいと話す時もあるでしょう。 「ビッグマウス」。 子供のビッグマウスには、根拠はありません。 ただ、そう思っただけのことでしょう。 その、子供のビッグマウス、を真剣... -
自分史
27-必要なものを必要と言えない子として
小学生3年生、クラス全員で体温を計る時間がありました。 先生が、1人づつ、体温計を配っていくのですが 何と私だけ、とばされてしまいました。 私は黙って、体温を計っている振りをしていました。 しかし、数分後、事実は明るみになります。 自分が体温... -
自分史
26-親は自分の思考、主義は自己の人生を通して実践せよ・子供に関係ない
小学校、3年生、引っ越しの際のことです。 当時は、引っ越しをする生徒が、クラス全員にお礼のプレゼントを渡す、慣行がありました。 この時、私、以外、2人の生徒が引っ越すことになっていました。 さて、また、母の邪魔師の登場です。 引っ越しをする... -
自分史
25-必要なものを必要と言えない子として
小学生3年生、クラス全員で体温を計る時間がありました。 先生が、1人づつ、体温計を配っていくのですが 何と私だけ、とばされてしまいました。 私は黙って、体温を計っている振りをしていました。 しかし、数分後、事実は明るみになります。 自分が体温... -
自分史
24-小学校バザー・親のせいで恥をかく
小学校でバザーが開かれていました。 皆、バサ-への出品物を持って来ます。 私は母から、手作りの「コレ」を持って行けと言われ 激しい抵抗をしました。 なぜなら、皆、買った商品を持ってくることを知っていたからです。 しかし、母は譲らず。 結局、母... -
自分史
23-母の作ってくれたおせち料理
今の家庭では、おせち料理は買う時代なので、わざわざ、手間をかけて作らないでしょう。 昭和40年代、コンビニもなく、デパート等も正月は閉まっており、食べるものがありません。 そこで、まだ、おせち料理をつくる習慣がありました。 母のつくるおせち... -
自分史
22-正月の家庭におけるゲーム・母の嫌みが全てをぶち壊す
正月の家庭におけるゲーム・母の嫌みが全てをぶち壊す 昭和40年代。 人生ゲーム、億万長者ゲームを、私の家庭においても遊んでいました。 当時、人生ゲームは大流行していたと思います。 しかし、ここでも、母の嫌みな一言のため 私の心の楽しみをぶち壊... -
自分史
21-親にほめられたことのない子は人をほめることを知らない
人は体験経験より学び育つものです。 私はほとんど、親にほめられた体験経験のない子でした。 自分がほめられたことがないと 成長しても、人をほめることを難しく感じます。 もちろん、言葉ではほめているのですが 心がこもっていないというか 棒読みのほ... -
自分史
20-家族団欒・団欒のない家庭は心の交流が希薄な家庭
私の家は、雰囲気の冷え込んでいた家でした。 その大きな根源は、母の存在です。 自分にとって、気に入らないと文句をいう、ケチをつける。 しかし、その相手は子供です。 自分が気に入らないとなると、分けのわからないことで何かと文句を言われ、ケチを... -
自分史
19-昭和40年代の京都市
私が小学1年生から3年生まで、住んでいた京都市です。 中京区に住んでいました。 河原町通りには市電が走り、 三条通には京阪電車が路面を走っていました。 寺町商店街、新京極、なつかしいなぁ。 それに、寺町商店街の鳩居堂の香り。 今でも、その香り... -
自分史
18-父との楽しい思い出
小学生低学年時、母との関係性は良いものではありませんでした。 しかし、父との関係性は、この時点では良好であったと思います。 市役所近くの喫茶店に、よく行きました。 父はヒーコー、私はジュースか、ミルクセーキ。 新京極を父に肩車してもらい、人... -
自分史
17-父親参観日・父に対する罪悪感|小学生低学年
小学生3年生、父親参観日がありました。 私はうっかり、算数の教科書を忘れて、授業中は隣の女の子に、見せてもらっていました。 家に帰ると、父が母に話していました。 きっと、私の教科書のことでしょう。 私はこの場をどのようにして良いのか分からず ... -
自分史
16-親戚との思い出
母方との親戚との思い出です。 夏。 遊びに行って、扇風機、風鈴、うなぎのご馳走、鈴虫の音色。 何か少し覚えています。 父方との親戚との思い出。 ありません。 母は父の母を嫌悪しておりましたので、父の親戚一切と、私を付き合わせなかったのです。 親...
12
