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自立と自律の関係性:より良い人生を歩むために

私たちは皆、「自分の足で立ちたい」と願い、また「社会の中で穏やかに生きていきたい」と願っています。

その中で、「自立」と「自律」という言葉がしばしば用いられますが、これらの意味や、私たちの人生における重要性については、深く考える機会は少ないかもしれません。

辞書的な意味合いだけではなく、心理的な側面からこれらの言葉を捉え直し、両者がどのように私たちの人生を形作っているのか、考えてみましょう。

より良い人生のため自立と自律どちらが大切か

Index
1.「自立」とは何か? 心理的独立としての「自分を持つ」こと
2.「自律」とは何か? 「自分を律する」ことの重要性
3.「自立」と「自律」の関係性:人生を豊かに歩むための両輪

1.「自立」とは何か? 心理的独立としての「自分を持つ」こと

一般的に「自立」は、「他からの経済的支配を受けず、自分の力で物事をやっていくこと。独立。」と定義されることが多いです。

しかし、現代社会において、経済状況や個人の事情によっては、働く意欲や能力があっても仕事に就くことが難しいケースも少なくありません。そのため、経済的な側面だけで「自立」を捉えることには、疑問を感じる人もいるのではないでしょうか。

私が考える「自立」は、むしろ「自分を持つ」こと、すなわち心理的な独立を意味します。
具体的には、以下の能力が重要だと考えます。

  • 自分の意思で物事を決定する能力: 他者の意見に流されることなく、自分自身で選択を下す力。
  • 自分の意思で決定したことを遂行する能力: 決めたことを最後までやり遂げる責任感と実行力。
  • 自己主張する能力: 自分の考えや感情を適切に表現し、他者に伝える力。
  • 他者に振り回されず、自分で決めた道を進む力: 周囲の評価や期待に過度に影響されず、自分の信じる道を歩む強さ。

つまり、「自立」とは、自己決定力を持ち、その遂行に責任を負い、他者に支配されない「自分軸」で生きることを意味するのです。

2.「自律」とは何か? 「自分を律する」ことの重要性

次に「自律」についてです。

国語辞典では「自分で決めた規則に従い、わがままを抑えること」と定義されています。
「律する」という言葉には、「一定の規範を設け統制・管理する」あるいは「ある基準に当てはめて判断処理する」といった意味合いがあります。

これはつまり、「自分を律する」とは、自分の中の基準や、社会の規範に照らし合わせて、自分の欲望、願望、衝動などを適切に制御することを意味します。

感情や衝動のままに行動するのではなく、状況や目的に応じて自分の行動をコントロールする力と言えるでしょう。

3.「自立」と「自律」の関係性:人生を豊かに歩むための両輪

「自立」が「自分軸」で社会を生きていくイメージだとすれば、それは基本的に「自分」に焦点を当てた意味合いが強いと感じられるかもしれません。
確かに、自分の意思で物事を決定し、責任を持って遂行し、自己主張することは、人生を切り開く上で不可欠な力です。

しかし、常に「自分、自分」と自己を前面に出しすぎると、必ず他者との間に摩擦が生じます。あまりにも強い「自立心」は、社会生活において時に弊害となる可能性があるのです。

ここで重要になるのが「自律」です。

「自律」は、強い「自立心」から生じる衝動や行動を制御し、人間関係や社会生活を円滑にするために機能します。

例えば、「自立」において大切な「自己主張」も、それが過度になれば、他者との意見交換を妨げ、相互理解を阻害し、人間関係や社会生活に問題を引き起こします。

この時、適切に「自律」が働けば、自己主張を強くしたい衝動や欲望を制御し、状況に応じた適度な自己主張を行うことができます。これにより、人間関係は円滑になり、社会生活もスムーズに進むでしょう。

まさに「自立」が人生のアクセルだとすれば、「自律」はそれを適切にコントロールするブレーキのようなものなのです。

「自立」は、人生の比較的早い段階で形成され、「自分」を主体として、自己の人生を歩みながら培われていく力だと考えられます。

しかし、「自立」が「自分の思うがままに振る舞う」と捉えられがちな一方で、それだけでは他者への配慮や社会規範が欠如し、単なる「自分勝手」になってしまう危険性があります。

そこで必要となるのが「自律」です。

「自律」は、親の教育、社会生活における様々な経験、集団活動などを通して、徐々に身についていくものでしょう。それは「自立」の行き過ぎを抑え、社会の中で自分を適切に位置づけるための力と言えます。

「自立」が個人の主体性を象徴するなら、「自律」は社会と調和するための社会性と考えることもできます。

「自立」と「自律」。

これら二つの力は、どちらか一方が優れているというものではなく、共に人生を豊かに生きるために不可欠な、車の両輪のようなものなのです。

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