生き方 楽観性と悲観的について

タイトル:楽観性にもとづく生き方

私たちは、ある程度の楽観性がないと、生活に息苦しさを感じます。

ここに書く楽観性とは、日常生活において
「自分は大丈夫であろう」、「自分には起こらないであろう」等という感覚です。

この楽観性があるから、ドライブ、海水浴、登山等、少しリスクのある活動
さらには、日常生活をおくることが出来るのです。

しかし、本当は世の中、危険と隣合わせです。
でも、いちいち、危険、危険と意識していては
外出、生活、レジャーが不可能になってしまいます。

また、喫煙に関しても、病気のリスクは理解しているけど
自分は大丈夫という、楽観性があるのでしょう。
でも、本当はどうなのか?
根拠はありません。

また、楽観的過ぎて、判断能力が甘く、

リスク管理が出来ないと多々の問題が生じますが

適度な楽観性は、私たちが生きることにおいて、必要なのでしょう。

タイトル:悲観的と自己保身

石橋を叩いて渡る。
一歩、一歩、慎重に行動することは、危険、リスクを避けるため
賢明さでもあると思います。

しかし、あまりにも、都度、都度の危険を考え、リスクを考えると
楽しく生きることの阻害にもつながり
広く、社会を経験することも出来ません。

経験が少ないと、どうしても、物事に対する見識、視野が狭くなってしまいます。

また、危険ばかりを考えていては、

常に自分に何か不都合なことが、起こるのではないかと、心配し過ぎ
不安、ストレスを感じ続けることにもつながります。

これら一連の思考と行動パターンを、悲観的、という言葉で表すことも可能です。

さて、悲観的な人は、常に何か起こるのではと心配、不安な傾向が高く
自己保身(自分を守りたい)の傾向も高まります。

心配、不安感の高い人は、敏感、感受性の高さとも関係して
日常のちょっとした事でも、反応してしまいます。

何か自分に関係した、嫌なことが起こるのではないか。

何か自分に不利なことが起こるのではないか。

何でも、自分に関連させて考える傾向もあります。

自分を無意識に守ろうという強さから、不安感も高まります。

でも、本当にその心配していることが起こるのか?
確率は?
証拠は?
その心配は妥当か?
考え過ぎではないのか?

もう、少し視野を広げて、他の見方が出来ないか等

いずれにせよ、楽観性が高すぎ、また、悲観的過ぎる場合。
客観性を高め、判断能力を上げる必要があるでしょう。