成功・達成の結果に縛られないこと

私たちは、人生において何らかの結果を求めたい、出したいと思う傾向があります。
それは、私たちの生きるための目標達成、向上心等からくるものなのでしょう。

そして、私たちは、求めていた結果を出せることもあるでしょう。

昇格。
起業。
就職。
発明。
様々です。

でも、この結果を出した後が、また、スタートなのです。
結局、出した結果については、その結果を維持、繁栄、展開させなければならないのです。
結果の現状維持は難しく、ライバルに業績を抜かれたり、アクシデントに見舞われ思うように活動が出来なかったり、努力して出せた結果も長くは続かないこともあるでしょう。

求めていた結果を出した後の努力、いかに振る舞うか、結果を出した以上、さらなる進化を図ることが、結果重視、結果維持のためには大切なこと、求められることではないでしょうか。

しかし、私たちはさらなる結果を出すため、または現状を維持するため、楽しむ時間を放棄、大切な何かを無視、結果を出すことのみに縛られ、人生の視野も狭くなり、次の結果を出した際、祝ってくれる人は、誰1人としていない等、淋しい末路が待っているかもしれません。

結果を出すこと、目標を達成することは、生きるエネルギー、パワーともなりますが、それのみにこだわり過ぎると、結果と引き換えに、失ってしまうもの、取り返しのつかないことも多々あるのではないでしょうか。

そして、一度結果を出すと、次の結果を要求されたり、目標を達成すると、さらなる高い目標結果を設定されたり、これは相当な、ストレスになるかもしれません。
(この結果の要求については、自分が自分に課す場合もあれば、組織に属している場合は、組織、上司から課される場合もあります)。
また、次の結果が出せなかった時は、自分、他者から課された期待に応えられない自分を責めてしまうかもしれません。

社会的に成功を収めること(結果を出すこと)は敬意に値しますが、しかし内面は、もしかしたら、その人は人生の悲哀を味わい続けているのかもしれません。
結果ばかり追い求めた結果、それが心の豊かさ、豊かな感覚につながっていないと気づくということもあります。

結果を出すこと、目標達成については、ほどほどにした方が幸せな人生がおくれるような気がします。
(おそらく、多くの人の場合)。

それに、私たちの人生の締めくくりは、人生の最期に何を思うかです。

人生を振り返った時、結果云々とはあまり縁がなかったけれど、楽しく、満ち足りた人生であったのと思える、沢山の思い出に囲まれる。
たくさんの友人が見舞いに訪れてくれる。

逆に、結果は残したけど、大金もあるけど、それ以外は何もない人生の最期、ひんやりした病室で1人ほっち。淋しいかもしれません。

人生の最期、幸せ感に包まれ、旅立ちたいものです。

結果にしばられ続ける人生を生きると、結局は、その偉業を誇りとしても、同時に、深海の淋しさを味わい続けるのかもしれません。

それに、認知症にでもなってしまったら、過去の偉業さえ忘れてしまうかもしれません。
人生とは残酷でもあるのです。

結果を中心に、人生の最期まで考えましたが・・・。

さて、人生結果に縛られないことですが、

結果は通過点に過ぎません。
一時的な現象に過ぎないのです。
それが、望む結果であろうが、望まない結果であろうが、

まだまだ、先のストーリーがあるのです。
そして、可能性も。

もし、人生の結果を論じたいのであれば、それは、ずっと先の、人生の最期にしませんか?

良き思い出に包まれますように。