自分の悩みが一番辛い?多様な苦しみに寄り添う心
私たちは皆、それぞれの人生の中で様々な悩みを抱え、苦しんでいます。
その悩みは、原因によって大きく分類できます。例えば、
- アダルトチルドレンとして、過去の家族関係に起因する生きづらさを抱える方
- 家族の介護や世話を担うヤングケアラーとして、自身の時間を犠牲にしている方
- 8050問題に代表されるように、長期間ひきこもっている当事者やそのご家族
- 年金支給額が生活保護受給額を下回るなど、経済的な不安に直面する高齢者
- シングルマザーとして、どれだけ働いても収入が増えず、日々の生活に奮闘している方
- 難病を抱え、社会からの理解が得られにくい状況に苦しむ方々

これらの悩みや苦しみは、家庭環境、経済的な困窮、病気、あるいは未だ社会的に認知の低い問題など、多岐にわたる根深い原因を抱えています。
そして、悩みの原因が異なると、共感の度合いも変わってきます。
同じカテゴリーに属する悩みを持つ人同士であれば、共通の経験から深い理解が生まれるでしょう。
しかし、原因が全く異なる悩みについては、共通点を見出すことが難しく、相手の苦しみを心から理解することは容易ではありません。
さらに、苦しんでいる当事者は、自身の悩みに対応するだけで精一杯の状況にあることがほとんどです。そのため、自分とは異なる悩みを持つ他者を理解する心の余裕がない場合も少なくありません。

「自分の悩みこそ一番辛い」と断言することの危うさ
努力が報われない苦しみ。
社会からの支援が届きにくい苦しみ。
社会から見捨てられたような感覚に陥る苦しみ。
原因は様々ですが、心理職として断言したいことがあります。
それは、「自分たちが抱えている悩みこそが、日本において一番辛い悩みだ」と、安易に断言しないことです。
そのお気持ちは、痛いほどよく分かります。
自分の抱えている悩みがなかなか解決しない。
誰に話しても理解してもらえない。
必要な支援やサポート体制も十分に整っていない。

「一体どうすればいいんだ」という、悩みから生じる焦りや怒り。
そして、「これほど理解されない悩みを抱えているのは、自分たち以外にいないに違いない」と感じてしまうこともあるでしょう。
確かに、そうなのかもしれません。 しかし、本当にそうでしょうか?
冒頭にも述べましたが、人は様々なことで悩み苦しんでいます。
同じ原因で悩んでいる方々は、SNSの発展もあり、繋がりやすくなっていると感じます。
同じ悩みやカテゴリーに属しているからこそ、仲間意識も高まり、互いの理解も深まることでしょう。

しかし、自分たちの抱える悩みや辛さ、そして社会における自分たちへの支援状況に関する理解は深まっても、他者の抱える悩み苦しみは、なかなか見えてきません。
見ようとしなければ、聞こうとしなければ、理解することはできません。知らないことは、知らないままなのです。
多くの人にとって、他者の悩み苦しみを理解するよりも、まず自分自身の悩み苦しみを解決・改善することの方が優先されるのは、ごく自然な心理です。
それでも、私たちは、「人はそれぞれ、様々なことで悩み苦しんでいる」という現実を認識しておくべきです。

「自分たちこそが社会において一番辛い悩みを抱えている」という主張は、客観的に比較・証明できるものではありません。
そして、自分の悩みを「社会において一番の悩みだ」と言い放ってしまうことは、知らず知らずのうちに、他者の悩みや苦しみを軽視することに繋がりかねないということを、どうかご理解ください。
人の悩み、困りごと、辛さの程度には差があるのかもしれません。
しかし、その悩みの苦しみの程度を感じるのは、あくまでその悩みを抱えている本人の経験や体験に基づく主観的な感覚であり、決して比較できるものではないのです。
それぞれの悩みが尊重され、互いの苦しみに寄り添う心が育まれることを願っています。
