目立つこと、その多様な心理の様々
目立つ人・目立ちたがり屋の心理と目的の様々
私たちは皆、それぞれの個性を持った存在です。
人前で輝く人もいれば、控えめに周りを支える人、あるいはその存在すら感じさせないほど静かな人もいます。
そして、「目立つ」という行為一つをとっても、その背景にある心理は実に多様です。
私自身は、どちらかというと目立つことを好まないタイプです。
静かに、そっと、自分のペースで生きていたい。
しかし、だからといって「目立つこと=悪いこと」とは決して考えていません。
もちろん、時には問題を引き起こすこともありますが、そこには様々な心の機微が隠されているのです。

Index
1.望まずして役割を担う「率先型」の心理
2.注目を求める「承認欲求型」の心理
3.生まれながらの「リーダー型」の心理
4.萎縮した心とのバランスを取るための「競争心型」の心理
5.自己を過大評価する「自己過大型」の心理
1.望まずして役割を担う「率先型」の心理
組織や集団の中には、誰もが引き受けたがらない役割というものが存在します。
私の臨床経験の中では、「なぜか、誰も手を出さない状況が嫌で、無意識のうちに自分が引き受けてしまう」と語る方が何人もいらっしゃいました。
こうした方々の根底には、「困っている人がいれば、率先して行動すべきだ」という強い信念があるのかもしれません。
本人は望んでいない、あるいは損な役回りだと感じていても、つい引き受けてしまう。
その結果、周囲からの期待やプレッシャーに苦しみ、ご自身が疲弊してしまうことも少なくありません。
これは、「目立ちたくないけれど、使命感が先行して結果的に目立ってしまう」という、ある種の葛藤を抱えた心理と言えるでしょう。

2.注目を求める「承認欲求型」の心理
「自分が場の中心にいてこそ価値がある」、「人気者でいたい」、「人を笑わせるのが好き」。
このようなアイデンティティをお持ちの方もいらっしゃいます。
周囲を明るくし、場を和ませる才能は素晴らしいものです。
しかし、一点だけ心に留めていただきたいことがあります。
それは、「相手への配慮」です。
特に年長者に対しては、その言動が「軽率な人」と受け取られかねない場合もあります。
では、なぜ人はそこまで注目されたいと願うのでしょうか。
子どもの頃を思い出してみてください。
多くの子供は、親からの注目や賞賛を得て成長していきます。
子どもにとって、注目され、認められることは、まるで生きるための栄養源のようなものです。
しかし、幼少期に親から十分な注目を得られず、否定されたり、無視され続けたりした経験を持つ人は、成長してからその満たされなかった承認欲求を、反動のように過剰に求めることがあります。
注目や賞賛への強い動機が、「目立つ」という行動へと結びつくこともあるでしょう。
ある意味、人目を引くことを求める心理の裏には、「孤独感」が隠されているのかもしれません。

3.生まれながらの「リーダー型」の心理
個人的に、私はこの才能を羨ましく思います。
リーダータイプの方は、何事においても率先して行動するため、その言動は自然と人目を引きます。
組織にとっては、かけがえのない貴重な存在でしょう。
しかし、注意すべきは、「尊大さや傲慢さ」に陥らないことです。
自分を引き上げてくれた人への感謝を忘れず、協力してくれる同僚や部下にも常に感謝の気持ちを持つこと。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉があるように、成果を出すほど謙虚さを忘れない姿勢が大切です。

4.萎縮した心とのバランスを取るための「競争心型」の心理
常に心が萎縮しているような感覚や、過去の許せない様々な思い、怒りや恨みを抱えながら生活していると、知らず知らずのうちに他人と優劣を競い、強い競争心が表面に出てくることがあります。
この競争心が、人前で「目立つ」という形で発揮される場合があるのです。
例えば、職場の議論の場で、相手を打ち負かすような意見を述べることで優越感を味わい、結果として目立ってしまう。
しかし、行き過ぎた競争心は、周囲に不快感を与え、結果として自身の立場を危うくすることもあります。
また、時には他人を蹴落とすために、平然とライバルのあらぬ噂を流したりすることさえあります。
なぜそこまでの行動に出てしまうのか。
他人からは自分がどのように映っているのか。
もしかしたら、過去の劣等感や萎縮した心を回復させようとする無意識の行動なのかもしれません。
何事も「行き過ぎ」には注意が必要です。
最終的には、望まない形で自分自身に返ってくる可能性があることを忘れてはいけません。

5.自己を過大評価する「自己過大型」の心理
必要以上に自分自身を高く評価する傾向を持つ人もいます。
自己を過大評価すること自体は、内面的な行為であり、それ自体に問題はありません。
しかし、それを外に向けて発信したり、表現したりする際に、問題が生じることがあります。
(多くの人が多かれ少なかれ自己過大の傾向を持っていると思いますが、それを外に表現するかしないかの違いです。)
現代は、誰もがインターネットを通じて意見を発信できる時代です。
また、薄っぺらい情報であっても、あっという間に拡散されてしまいます。
何を書いても、語っても、言論の自由ですが、あまりにも度が過ぎて、さも自分は物知りであるかのように振る舞ったり、他人を批判したりすることがエスカレートすると、その行為が災いとなって自分に返ってくることもあります。
この「自己過大型」については、あまり批判的になりすぎるのも本意ではないため、ここではこの程度に留めておきます。

目立つことの背景にある心理は、本当に多様です。あなたは、これらの心理のいずれかに心当たりがありますか? それとも、また別の理由で目立つことを選んでいるのでしょうか? 自分の心の奥底にある感情と向き合うことは、自己理解を深める第一歩となるでしょう。