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在宅勤務がもたらす心の影:孤独とコミュニティの重要性

新型コロナウイルスの感染拡大は、私たちの働き方や学びのあり方を大きく変え、在宅勤務やリモートワークといった、人との接触を減らす新たなスタイルが急速に浸透しました。

もちろん、職種によっては在宅勤務が不可能な場合もありますが、未曾有の社会情勢は、これまで見過ごされがちだった私たちの心の課題を浮き彫りにするきっかけにもなっています。

当初、在宅勤務は「便利だ」と歓迎されたかもしれません。
しかし、私たちは往々にして、まずその利便性を評価し、その後になって初めて、その内包する不都合や問題に気づくものです。

新型コロナウイルスの脅威が続く中、在宅勤務やオンライン学習がやむを得ない選択肢であることは理解できます。

また、今は2025年。
新型コロナウィルスの猛威も終わりましたが、企業は在宅勤務の利便性に気づき、在宅勤務の割合が多くなっているのが現状です。

しかし、心理カウンセラーとして、これらの新しい働き方・学び方が私たちの心に与える影響、特に「コミュニティ(共同体)の重要性」について、考察を進めたいと思います。

様々なご意見があるかと思いますが、ご容赦ください。

在宅勤務が心にもたらす影響:心の交流の欠如と孤独

在宅勤務は、通勤のストレスから解放され、当初は歓迎ムードだったかもしれません。
企業にとっても、高額なオフィス維持費が不要になるなど、コスト削減のメリットは大きいでしょう。しかし、すでに在宅勤務が抱える心の問題は表面化しています。

Index
1.心身の健康への影響
2.オンライン飲み会は孤独を救えない
3.定年後の「コミュニティの喪失」から考察する在宅勤務の問題

1.心身の健康への影響

a)セロトニン生成の問題

ずっと家にいる生活は、精神的なストレスにつながります。
通勤電車が苦痛に感じられる時があったとしても、私たちは朝、陽の光を浴びながら外を歩く機会がありました。

この「朝の陽光を浴びる」という行為は、脳内物質であるセロトニンの分泌に大きく影響します。

セロトニンは心の安定ややる気、脳の活性化に深く関わる重要な物質です。
その減少は、やる気の低下や抑うつ状態に陥るリスクを高める可能性があります。
朝起きてすぐに在宅勤務を開始する生活スタイルでは、セロトニン生成にマイナスの影響を与える可能性があるため、注意が必要です。

(もちろん、理想的には、在宅勤務の前に散歩などで陽光を浴びる習慣を取り入れると良いでしょう。)

b)運動不足

在宅勤務が続くと、必然的に家にいる時間が増え、運動不足になりがちです。
フィットネスクラブの閉鎖なども重なれば、体を動かす機会はさらに減少します。

運動不足はストレスの増加や体力低下、ひいては免疫力の低下にもつながりかねません。
さらに、肥満などの健康問題へと発展する可能性も否めません。

c)社会コミュニティとのつながりの欠如

多くの人にとって、会社(職場)は単なる仕事の場ではなく、一つの「コミュニティ」です。

たとえ嫌な上司や山積みの仕事があったとしても、そこには他者との交流があり、時には不満や愚痴を共有する場でもありました。
在宅勤務では、こうした他者との直接的な交流が極端に不足します。

オンラインでの会議やチャットツールを通じたコミュニケーションは可能ですが、それはあくまで個々の自宅とインターネットで繋がっているに過ぎません。

人間同士が直接顔を合わせ、同じ空間で感じ取る「空気感」。
直接話すことで伝わる「感情の機微」。
共に目標に向かう中で生まれる「一体感」や「深い共感」は、画面越しのやり取りだけでは得難いものです。

これらは充実感をもたらし、ストレスを解放する効果もあります。私たち人間には、やはり生身の人間同士が直接触れ合い、交流する「コミュニティ」の存在が不可欠なのではないでしょうか。

家族も大切なコミュニティですが、会社というコミュニティは、家族に対する不満や愚痴を家族以外の人に吐き出す「はけ口」としての役割も担っていました。
これにより、家族間のストレスが軽減され、円満な関係が維持されるという側面もあったのです。

一日中家での閉塞感とストレス

上記の要素を総合的に考えると、在宅勤務は長時間自宅(部屋)にこもることになるため、閉塞感からストレスが溜まりやすく、神経が過敏になる可能性があります。

もし家族全員が一日中自宅にいる状況であれば、仕事に集中できず、イライラが募ることもあるでしょう。

「コロナ離婚」や、子どもへの暴力、DV、虐待の増加といった問題も、ストレスからくる神経過敏の影響かもしれません。

一人暮らしの人であれば、より一層自宅に引きこもりがちになり、「孤独」の問題が顕在化します。
近年の研究では、孤独が人の心身に深刻な悪影響を及ぼすことが明らかになっています。

在宅勤務は、果たして人間の健康と心にとって、真に健全な状態をもたらすものなのでしょうか。

2.オンライン飲み会は孤独を救えない

自粛期間が始まった当初、オンライン飲み会はその目新しさから一定の評価を得ました。
しかし、分割された画面越しの交流には、どこか不自然さを感じざるを得ません。
皆がバラバラに話し、収拾がつかない状況も散見されます。

先日、関東地方で外国人が自粛解除を待ちきれず、路上で飲み会をしていたという報道がありました。
彼らは「やはり顔を合わせ、生身の人間の感覚を感じられない日々が続くと、寂しさや孤独を感じる」と語っていたそうです。

私は、オンラインでの通話は、普段から直接顔を合わせ、心が通じ合っている生身の人間同士の補助的な役割を担うものだと考えています。
あるいは、旧知の間柄(親類縁者、恋人など)で、止むを得ない事情で直接会えない場合に、関係性を維持・強化するために利用されるのであれば非常に有効でしょう。

しかし、オンライン会議やオンライン飲み会は、情報発信や意見交換といった言語による交流には適していますが、人としての繊細な感情のやり取りは難しいのではないでしょうか。
そして、感情が満たされない社会生活においては、「孤独」という問題が次にやってくると私は考えています。

「新しい生活様式」、「新しい働き方」として推進される在宅勤務やリモートワークですが、人と人とのつながりを深く考えた場合、本当に人間らしい生き方としてふさわしい形なのか、疑問を感じざるを得ません。

3.定年後の「コミュニティの喪失」から考察する在宅勤務の問題

これまで、在宅勤務が心身に与える弊害について述べてきました。
時代は進化しており、それに合わせていくことも大切かもしれません。

しかし、新型コロナウイルス収束した今、私たちは在宅勤務やオンライン交流を「新しい生活様式」として格的に定着させていくのでしょうか。
今後、人と人とのつながりは、インターネットを通じてさらに迅速になるでしょう。
しかし、問題は、「深い心の交流ができるかどうか」です。

オンラインでの交流は、前述の通り、意見交換や情報発信といった言語による交流には問題ありません。

しかし、真の人の交流とは、生身の人間が存在する「空気感」を感じ、感情を共有する(共感する)ことであり、これらは言語のやり取りだけでは得られない効果です。

そして、これらの効果によって、私たちは人との一体感を感じ、心が満たされるのです。
オンライン交流では、これらを感じ、得ることは難しいのではないでしょうか。

オンライン交流の利便性は理解していますが、やはり、生身の人間が集う場、すなわち「コミュニティ」における交流と比べると、心の充足感がどこまで得られるのか疑問です。

ここで、過去から存在する一つの問題に目を向けてみましょう。
60歳を過ぎて会社を定年退職した後、数年間ひきこもってしまう方(特に男性に多いとされます)が少なくないことはよく知られています。

この問題の根源は、「会社という重要なコミュニティを失うこと」にあります

これまで仕事一筋で、会社が第二の家族のような存在だった人にとって、その大切なコミュニティを失うことは、人間関係が途切れ、他に居場所(コミュニティ)もなくなり、自宅にこもってしまう原因となるのです。彼らは「孤独」なのです。

生身の人間同士のコミュニティとは、人間の交流の要ではないでしょうか。
会社勤めの定年後の問題と、今回私が論じた在宅勤務の問題は、人間交流(コミュニティ)のあり方という点で、深く関連しているのではないでしょうか。

補記

在宅勤務がもたらす利便性は享受しつつも、私たちの心の健康にとって不可欠な「リアルな繋がり」や「コミュニティ」の価値を改めて見つめ直し、それをどのように維持・再構築していくか、今こそ真剣に考える必要があるのかもしれません。

あなたにとって、心の拠り所となるコミュニティは、今、どこにありますか?

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