協調性と同調性

現代の心の問題とも言われている。

同調性。

同質性。

それに基づく、同調圧力。

これらの言葉の意味することは何でしょうか。
そして、協調性との違いは、何でしょうか?

では、まず、言葉の違いを、新明解 国語辞典 三省堂刊より

同調
1 自分の意見を出さず、他の意見、態度に賛成すること
2 ラジオなので、周波数を加減して、目的の放送に合うように調整すること

協調
相違点、利害などを譲り合い、共通の目標に向かって歩み寄ること

さて、協調性から考えましょう。

協調性とは、同じ組織、グループ等に属している人々が、ある目標を達成しようとする時、皆が自分だけの都合を優先せず、自分の都合は後回しにして、設定された目標を、皆で協力して達成に向かって努力する姿勢、行動だと思います。

協調性の発揮には、「空気を読む」、すなわち「その場の雰囲気を感じる」という事も含まれていると思います。

例えば、企業組織において、皆忙しそうに残業している(空気、雰囲気を感じています)、自分だけ早く帰ってはよくない。
早く帰って一杯飲みたいけど、忙しそうな人を手伝おう。
自身の早く帰りたい、帰って〇〇をしたいという都合を抑えて、周囲に合わせて、協調行動を選択します。

この協調性は、最終的に企業全体の目標達成を早めることに、つながるかもしれません。

また、協調性行動のメリットは、組織の仲間として、認められるということにもつながるでしょう。

もし、協調行動を取らなければ、常に周囲の忙しさを無視して、定時退社を繰り返していることになり、自分勝手な人と、周囲から反感をかうかもしれません。
(もちろん仕事によっては個々人専属、専門の仕事もあり、協調性を発揮しようにも、手伝えない時も多々ありますが)。

また、サークル、大学の部活等においても、皆が試合前等、ピリピリ練習しているのに、自分だけ常に習い事等の用事で早く帰ってしまうと、白い目で見られ、仲間外れにされたり、いじめの対象とされたり、その集団に属し続けることが難しくなるでしょう。

昔から、我々日本人は群れることを良しとし、他者視線を常に意識して(相互監視力)、自己の行動、振る舞いを決定する傾向が高いのではないかと思います。
良い意味で考えると、これは、その場の雰囲気を読む、協調性の発揮と結びつくことが多々あると思いますが。

では、次にここ数年、問題視されている同調についてですが。

協調は目標達成のためにという前提がありましたが、同調においては、目的があるにせよ、無目的にせよ、人の集まり(SNS等含む)において、空気を読む、雰囲気を感じた結果、自分の意見を出さずに、自分を抑圧して、周囲と同じような行動を無理して取り続ける、または本意ではないが賛成して振る舞うとなるでしょう。

同調においては、皆と違う、自分の意見を出したり、行動すると、空気が読めない奴と、グループから排除される可能性があります。
同調、同調性とは、皆と同じようにしていろ、目立つなという心理の基、グループ、集団の空気、雰囲気に同質化しているのでしょう。

大した目標があるわけでもなく、ただ集まっているだけの集団であっても、個性は示すことは出来ず、グループ、集団に同質化しているのです。
また、同質化を求められている。
そうしないと排除される。これが知らず、知らずに伝染する、同調圧力ではないでしょうか。

言いたいことは言えない、ただただ合わせるしかない、排除はされたくない。

同質化選択の根拠は、異質物は排除される恐れではないでしょうか。

そして、まさに、出典辞書の同質定義2のように、
「ラジオなので、周波数を加減して、目的の放送に合うように調整すること」

自分を加減して周囲に合わせて、目的同質化への調整を行っているのです。

私から見ると、窮屈な社会だなぁと思います。
他者とつながる為に自分を抑圧するわけですから。

協調性と同調性の違い。

いずれも、何らかの集団に属する、もしくは、人とのつながりが前提でしょう。

そして、協調性は目標達成のため相違点、利害を譲り合うという事が、国語辞典においては定義されていますが、どうしても、自分の都合を優先しなければならない時等は、自己の選択権を行使、今日は目標達成の行動には付き合えない、自分の都合を優先したいと事情を話して、自分を優先することも可能です。

組織等における目的達成のための協調性も大切ですが、何よりも個人の尊重が大切です。

個人があっての、組織なのです。
協調性優先にて、個人が心理的、精神的問題を抱えてしまっては、逆に組織利益の損失さえ招きます。

また、協調性をあまりにも優先し過ぎて、個人の個を尊重しなければ、昔から例えられているように、人は組織の部品の如く、自分とは何か、この悩みへと発展するでしょう。

しかし、常に自分ばかりを優先していると、協調性のない奴とレッテルを貼られてしまいますが・・・。

協調性と個人の個(個人の権利)のバランスの舵取りは、日本では難しいことのように感じます。

しかし、同調性とは協調性と違い、「空気を読む」、「雰囲気を感じる」、無言の圧力に無条件に従い、自己を抑圧、皆と同じ意見、行動を取ることに屈して、自分を失っていくように感じます。
そこまでいかなくても、やはり窮屈。

しかし、異質な者として排除されたくないために、同調の圧力に従う。

さて、私自身は「空気を読む」、「雰囲気を感じる」ということは、人が社会性の動物として在るためには大切なことだと思いますが、「空気を読んだ結果」、「雰囲気を感じた結果」、いかに振る舞うかは。その人の自由だと思います。
個人の個の尊重です。

また、「空気を読む」、「空気を感じる」とは。協調性、同調性に限らず、共感、繊細さに通じるところがあります。

何が何でも、「流れ、感じる、空気に従う」のではなく、自己の主体性も大切に出来る、社会、人生でありたいですね。