自己防衛・自己保身 差別心理の根源の1つ

人が人を差別する。
本来、皆、平等です。
したがって、差別とは許容出来るものではありません。

しかし、私たちは、差別を行う動物のようです。
しかし、そこには、人間ならではの、思考力、心理が大きく働いていると思われます。

今回は、人が人を差別する。
私なりにその根源に迫る理由について書き進めたいと思います。

その前に差別とは何か。
私なりの理で書きますと、相手に対して、命、自分の社会的立場、社会的価値(心の安定)を守る為、相手に対する排除行為と考えます。
排除行為には、暴力、いじめ、いやがらせ、悪口、無視、及び、軽視、蔑視的な言動を含みます。

1 自分の命を守るための不安からの差別
2 自分の立場(社会的地位)を守るための差別
3 自己の社会的価値、心の安定守る為の差別

1 自分の命を守るための不安からの差別

私たちが差別的行為を行う前提として、思考と心の動きがあります。
そして、差別に関しては、思考、心の側面として不安、恐怖の影響が大きいと思われます。
その不安、恐怖とは、差別を行う相手に対して抱くものです。

今は新型コロナウイルスの時代、医療関係者の方、福祉介護関係の方、運送業に従事する方々等(エッセンシャル・ワーカー)に、差別的発言(汚い、ばい菌保持者等)、また、通勤時等一緒の乗り物に乗車している際、強制的に降ろされる(排除行為)、除菌スプレーを吹きかけられる(いやがらせ)等、一部の方が、ある種の仕事を就いている方に対して、差別的行為を行っています。

この根源にあるのは、自分が彼らから新型コロナウイルスを移されることを恐れてのことです。
そして、彼らに対して、恐れと同時に不安感を強く持っているのでしょう。
(彼らとは、新型コロナウイルスに感染する機会の高い仕事に従事されている方々の意であります)。

そして、彼らに対して、不安、恐怖を感じ、それが、怒りさえも伴う、差別的行為へと駆り立てるのです。

確かに、その不安な気持ちも分かりますが、彼らがいなければ、社会は機能しない、そして、助かる命も助からないのです。

よくよく、考えてください。
例えば、医療関係者の方々が、「私たち差別されるのが嫌なので退職します」と、一斉に職場放棄されたらどうされますか?

困るのは、皆様です。

私も脅威を抱く相手に対して(新型コロナウイルスは関係ありません)、不安、恐怖から、怒りの感情が生まれ、その相手を排除したいという思いは、都度、感じていると思います。
しかし、言動化には移しません。

人は自分にとって脅威を感じる相手を排除して、自分の身(命)を守りたいと思うものです。

また、同時に新型コロナウイルスように、私たちが経験したことのないウイルスにおいては、完全な予防薬、治療法も確立しておらず、その未知の不安から、ますます、人は疑心より不安と恐怖を高めます。

その結果、自分に対する感染不安の恐怖より差別的行為を行い、また、その為、感染確率の高い職業に就いてる方々(エッセンシャル・ワーカー)に対して、実際にウイルスを広めている敵と認識、その敵に対する怒りから差別的行為に走られるのでしょう。

しかし、自分が感染する不安、命に関する不安と恐怖から、感染確率の高い職業の人に対する排除行為の差別ですが、感染とは、いつ、どこで、感染するか分からないものであり、ある特定の職業に就いている方を排除する姿勢は、行き過ぎた自己中心性だと、私は考えます。

そして、感染不安に一番怯えているのは、感染確率の高い仕事に従事されている方々であり、
その社会的責任を果たすため、仕事に就いておられるのですから、人とは不安と恐怖が先行した、混乱した感情のもと差別的行為を行うものであると考えても、それを思いやり、良識、良心、理性において抑えるのが、人間の知性ではないでしょうか。

自分勝手な行為は、良識、良心、理性、知性なき者の行いと評されても、仕方ないでしょう。

2 自分の立場(社会的地位)を守るための差別

私たちは社会性の動物であり、多くの人は、社会活動において何らか組織、グループ、コミュニティに属し、活動を行っています。
その代表は会社、学校でしょう。

自分の立場(社会的地位)を守るための差別。
この心理背景には何が働いているでしょうか?

そこには、今の自分の立場(社会的地位、もしくは自分の属する組織における地位)を落としたくない心理が大きく働きます。
これは、すなわち、自分がその立場、社会的地位を、誰かに抜かれ、落とされ、下に落ちることを恐れているのです。

後述する、自己の社会的価値(心の安定)を守る為の差別と重なる点もあります。

具体的な例を2つ書きましょう。

1 会社において後輩に役職を抜かれそうになった時の差別

会社とは様々な役割、そして、それに基づく役職に基づき成り立っています。
さて、自分がある役職に就いており、後輩がその役職を抜き、さらに、上の役職に抜擢される雰囲気、噂を聞く、実際にそのようなことが起こった時、抜かれた本人は、どのような心理状態になるでしょうか?

多くの人は、悔しい、もしくは、自分、後輩な対する不当評価が行われたと考えるのではないでしょうか。
(このようなことは考えず、自己の至らなさを猛省する方もおられるかもしれませんが)。

そして、追い抜かれた本人(または、その危険、脅威を感じてるいる)は、周囲の職員の視線を気にして、劣等感や抑うつ感、そして後輩という存在に対して怒りを感じるのではないでしょうか。

まさに、後輩が自分を脅かす、恐怖の不安の対象と化したのです。

このような時、差別心理が働く時もあります。

具体的行動としては、社内で仲の良い人とSNS、LINE等でつながり、後輩に対してあること、ないことを誹謗中傷する。
または、実際に後輩を徹底的に無視した態度を取る、そのいじめ仲間を集める。
上司に後輩の悪口を吹き込み、昇進させまいとする等。

自分の立場(社会的地位)を脅かす者、または、実際に屈辱を味わった者からすると、その相手は脅威であり、敵であり、引きずりおろしたい対象ともなるのです。

自分の立場(社会的地位)を守りたい、屈辱を味わいたくない、周囲の視線を気にする、社会(会社組織)に属するがゆえ、自分を守る為(自分の立場・社会的地位及び、その立場・地位に基づく心の安定)に、脅威を感じる者への誹謗、中傷等を伴う差別行為へ駆り立てられることもあるのです。

2 学校におけるスクールカースト

学校内でのスクールカーストのいじめ、差別については、以前書きました。
差別を受けていない、いじめの標的とされていない多くの傍観者(生徒)は、不本意ながらも、上位層を真似、最下層に対して具体的な差別行為を行うこともあり、差別に加わっています。

差別に加わらないと、自分が最下層に転落、いじめを受けることを恐れているのです。
これも、学校という社会組織において、自分の地位を守っているのです。

また、信じられないことに、このいじめに先生も加わることもあるそうです。
これは、最下層の生徒を、生徒と一緒になって、いじめ、差別を行うことにより、集団体制の維持強化を図り、自分の教師としての地位または、クラスをまとめる役割推進に利用しているのです。
(または、面倒なことに巻き込まれたくないという無責任も働いているでしょうが)。

これは、教師としての仕事を行いやすくするため、自己のクラス内における社会的地位を強化確立するための、差別行為推進と捉えても良いのではないでしょうか。

3 自己の社会的価値 心の安定を守るための差別

私たちの心は常にその安定を図るため、意識的、無意識的にせよ、他者を誹謗、中傷、バカにしたりして、差別的行為を行うこともあります。

私たちは比較心理を持っています。
すなわち、社会生活を営むにおいて、自分の立ち位置を比較して、把握しようとする心理です。

比較の基準は、出身地、学歴、勤務している会社、年収、人種、家庭を持っているか否か等、様々でしょう。

そして、比較した結果、自分より上のステータスにいる人に対しては、羨望の気持ちを抱き、自分は価値がない、社会的ステータスが低い等、自己基準に基づく、自己の価値判断を行います。

そして、ここに差別意識がうまれます。
人とは、自分が下に属する者と認識すると、さらに自己基準に基づき、下層の者を探し出し、彼らを軽んじることにより、自分はまだまし等、社会的価値の保持、心の安定を図ろうとするのです。

すなわち、自分より、学歴や年収等、下と見なした人達を、たいした人間ではない等、思い蔑むのです。
そして、これにより、勝手に自己の社会的価値を見出し、自己の心の安定を図るのです。

誰にでも、羨望の心理、蔑みの心理はあると思います。

しかし、自分の社会的価値、ステータス、また心の安定を図るために、自分より下とみなした人達に対する、誹謗、中傷、悪口を言う等の行為は、いかに心の安定を図るために行うといっても、許されるものではないでしょう。

人は様々な価値観と、それに基づく感情を持ち合わせ生き続けます。
そして、何かと自己の基準に基づき比較する生き物です。
そして、自己の社会的価値に基づく比較より、その比較基準において、上と判断した者に対しては劣等感、羨望の心を抱き、下と判断した者は軽んじ、心のバランスを取ろうとします。

しかし、比較した結果、他者に対して様々な思いを抱いたとしても、それを口に出す行動化は、知性、良心、良識等によって、止めることが可能なのです。

それに、比較心理は自己中心的な基準に基づく比較です。

案外、あなたが比較した結果、自分より下と見なした人の方が、幸せで穏やかな日常を過ごしていることもあるものです。

あまりにも、差別心理が強く働くと認識されているのであれば、自己の劣等感、優越への欲求心理等を見直した方が良いかもしれません。

人の人生は、皆、様々です。
単純に比較して、上下間を決められるものではありません。