否定を恐れ、同意を求める支配性の心理

私たちは否定に敏感です。
自分の意見等を否定されたくない思いが強い心理は、多くの人に見られることです。
特に現代は否定に敏感な社会のように思います。

誰でも自分の意見、持論を否定、または、自分の意見とは別の見解に基づく意見を聞かされると嫌な気持ちになる傾向があると思いますが、本当は皆、自分の意見を述べる権利があり、自分の意見、持論と正反対の意見等、誰が発信しても恐れる必要はないのです。

それは、「意見が違うだけ」なのですから。
それだけのことです。
(但し、現代はSNSを中心に匿名にて、他者の意見、論等を、悪口の如く誹謗、中傷する時代)。

この時代背景が、自己の意見、持論に対するの否定の敏感化に拍車をかけているのかもしれません。

同意を求める話し方 言い方 否定を恐れ、隠れた意図としての支配性

さて、否定を恐れるあまり、他者に同意を求める話し方、言い方は多くの人が使っているところです。
そして、これは無意識に使われていることと思います。

例えば、「人間って利益の為に動くものじゃありませんか」。

このような、「~~じゃありませんか」という言い方は同意を求めています。
または、強調の心理でしょうか?
そして、同意を求める話し方、伝え方は、他者に持論、自説、自分の思い等を否定をさせない、そこに、隠れた支配性の意図をみることが出来ます。
しかし、この支配性は意識されておらず、無意識に近いものです。

先ほどの
「人間って利の為に動くものじゃありませんか」。

私はこのような、言い方はしません。
私は、「人間とは利のために動く人が多いと思っています」。

特段、賛成も同意も求めません。
私の意見がおかしい、筋が通っていない、非論理的であると等と、思われるのであれば、それはそれで良いのです。

人には人の意見、論があるのですから。

さて、「~~じゃないですか」、という同意を求める言い方、話し方はよく耳にしますが、私はいつも妙な気持ちで聞いています。
しかし、いつから、このような、言い方、伝え方が増えたのでしょうか。
30年前はあったかな?
と思ってしまいます。

同意を求めるということは、聞いている者に否定の意見を表明させない、半ば強制力を持ち、同時に、自己の意見、持論に対する、支配性と、否定するなよという暗黙の警戒を示しているのです。

それ以外、考えられる理由としては、「~~じゃないですか」という言い方、伝え方が、文化的慣行となっていることも考えられます。
社会風潮であり、この言い方が一般的となっているという考え方です。

でも、同意を求める言い方が社会的に一般化されたのであれば、そこには、何らかの背景があるのではないでしょうか。

心理カウンセリングの場で、「~~じゃないですか」の言葉への対応

心理カウンセリングにおいて、仮にクライエントの方が、「親って自分勝手なものじゃないですか」。
と発言された場合、私は、「あなたは、様々な過去の経緯より、親は自分勝手なものと思われているのですね」。
と返答するようにしています。

同意を求められていますが、同意をしているわけではなく、クライエントの方の言いたいこと、伝えたいことを、そのまま同じように返して、「あなたの言いたいことは理解しました」という、メッセージを送っているのです。

カウンセリングにおいて、クライエントの方に同意を求められ、心理カウンセラーが無条件に同意して、クライエントの方に支配されてしまっては、カウンセリング、悩み相談の場にはならないと、私は考えています。
(共感、理解と同意は別物です)。

心理カウンセリングがクライエント絶対主義であれば、客観性の欠如、気付きの場でもなく、何のための悩み相談か、意味を見出せないと私は考えます。

明確な支配性を持った同意を求める言い方

「私はコスト削減については、この方法が良いと思います。あなたも、そう、思いませんか」。

もし、会社の打ち合わせ等の場で、仮にあなたに対して、このような強制的に同意を求める言い方をされる方がおられるとすれば、あきらかに、自分の意見に賛成してもらいたい、同意してもらいたい心理的圧迫、強制の意図は明確です。

この場合は、否定されたくないというよりも、自己を押し通したい傲慢が全面に出ています。

強制的な同意、賛同を求める言い方をされる方は、人の意見を聞こうという姿勢はまったくなく、持論を押し付けていいるだけであり、支配性が強く、他者を軽視していると言わざるを得ません。

そして皮肉なことに、持論を押し付ける傾向のある方の論は、軽薄(論として意味の現実味がない)ことが多い。

正直に書くと、あまり関わりありたくない人ですね。

でも、たまにおられます。

しかし、最終的にこのタイプの方々は、その出過ぎた傲慢性が仇となり、多くの人から敬遠されるでしょう。

自分の言葉がどのような影響を他者に与えているか、よくよく、その場を観察、他者の心理を理解、そして、自分を知り、自己改善を図る必要があるでしょう。

言葉は自分を証明します。