承認欲求 自己存在の承認と心の満足

承認欲求。
自分を認めて欲しい欲求は、多くの人が潜在的に持っているものです。
もちろん、書くまでもありませんが、承認とは他者から認められることです。
(但し、他の群れをなし暮らす動物にも、生きる為、序列に基づく承認欲求はあるでしょうが、本ページで書く、承認欲求は序列云々ではなく、社会で生きる私達の心の満足感に焦点を当て書きます)。

そして、承認とは、自己存在の承認欲求ではないかと捉えています。
自己存在の承認欲求とは、自分のことを認めて欲しい、自分のことを分かって欲しい、理解して欲しい、自分がここに生きていることを知って欲しい等の気持ちが含まれます。

そして、この承認欲求を叶える方法は2つあります。
「活動において何かを成した後の承認」と、「所属、関係性からの承認」です。

1 活動において何かを成した後の承認
2 所属、関係性からの承認
3 承認とは後からついてくる
4 現代社会における不自然な承認の満たし方

1 活動において何かを成した後の承認

活動においた何かを成した後の承認と書きましたが、特段、活動において、難しいことを成さなくても良いのです。

例えば、日々の仕事について考えてみると。
仕事をした後、その成績を職場の人々から認められる。
自営業の方が、受託した仕事を成し、委託者より感謝される。
専業主婦が夫より家事をほめられる(家事も仕事です)。

これらの活動は、それなりの努力と継続が必要ですが、多くの人が成している事であり、その結果を周囲の人々が認め、自分が認められたと、承認欲求が満たされるのです。

逆に日々頑張っているにも関わらず、承認がなかったとすれば、私達はどのような気持ちになるでしょうか。

おそらくは、自分の存在が認められない、自分が無視されているような、悲しい気持ち、虚しい気持ちになるのではないでしょうか。
そして、頑張っても認められない、成果を出しても認められない、成しても認められないことから、何をやっても認められないと、やる気を失っていくのではないでしょうか。

人にとって、活動において自分が成したことを認められる、承認されることは、自己の存在の認知であり、それは感情的には快感をもたらし、喜びをもたらし、努力が報われた瞬間、ストレス解放の瞬間、そして、私達の根源的な心の欲求が満たされた瞬間なのです。

他者からの承認とは、私達の活動(有給無給に関わらず)の推進の原動力ともなるのです。

2 所属、関係性からの承認

所属。
上文では仕事を中心として、活動において何かを成した後の承認について書きましたので、ここでは、所属、関係性からの承認について書きます。

仲間、友人とは、何らかの絆、心のつながりで結ばれている関係性。
したがって、活動において何かを成す必要もなく、そこに居るだけで仲間、友人として承認される関係性です。

これも、自己の存在の承認欲求を満たしてくれます。

一緒にいるだけで心地良く、楽しい、信頼されている感覚、そのような心の絆で結ばれている仲間、そこに居る仲間から自分の承認欲求が満たされていることについて、意識されることは少ないでしょうが、もし、仲間、友人がいなければ、その状況状態では孤独を感じるはずです。

そして、活動において何かを成した後の承認と同じく、仲間、友人関係を築くには、相手への配慮、心の関係性築くため、何かを贈る、そして、受け取る。

関係性を築き、絆を深める為に、無意識でしょうが、何らかの努力、活動(楽しい努力かもしれません)をされた結果ではないでしょうか。

仲間、友人関係を築き、維持する為には、飲食の時間を共有等、時間、お金の出費を伴う活動をすることもあるでしょう。

また、特段大勢の仲間、友人がいなくても、膝を突き合わせて親身に語り合う友人がいることも、孤独を感じず、自己の存在、承認欲求が満たされていることを、心のどこかで感じられていることと思います。

活動において何かを成した後の承認、所属、関係性からの承認(実際は関係性維持のため努力活動をされていますが)、いずれも自己の存在の承認欲求を満たしてくれるものです。
そして、自己の存在が認められている満足感を味わえるのです。

他者からの承認により、私たちは孤独、虚しさを感じることもなく、この承認は日々の心の安定、楽しさ、さらには、自分には仲間がいる等の思いから、高いチャレンジ心にも結びつくこともあるでしょう。
(仲間は心の安定をもたらし、応援を得られ、勇気がわいてきます)。

人間が根源的に持つ欲求。
承認欲求は満たされれば、満たされるほど、人生の豊かさにつながるものと思います。

3 承認とは後からついてくる

活動において何かを成した後の承認。
所属、関係性からの承認。
基本的には、その承認、他者からの承認は、自分が何らかの行為を行った後、得られるものです。

承認とは、まずは、自分が何らかの活動を先に行う、行動をした後、自然とついてくるものでしょう。

例えば、公園で昼寝をしていても、他者との関係性等がなければ、誰も声をかけてくれず、承認はなく、たんに昼寝をしている人と他者からの認識はあっても、その存在は無視されるはずです。

承認とは何らかの活動の後、後から自然とついてくるもの。

しかし現代においては、不自然な承認の求め方として、まずは、承認を求めるために、手を抜いたを行動(活動)を行い、承認を求めることがあげられます。

4 現代社会における不自然な承認の満たし方

承認とは後から自然とついてくるもの。
この循環で考えると、先に承認欲求を満たすために活動をすることには、不自然さがあります。

しかし、先に承認欲求がありきとしても、他者に親切にして感謝されたい、そして、承認欲求を満たしたいという思いから、何らかの親切な活動をされることは、不思議ではありません。

冒頭に書いた通り、承認欲求は人間の根源的欲求であり、承認欲求を満たす思いから、何らかの活動をされても、不思議ではないのです。

実際に親切な活動をされた後は、感謝され、承認欲求が満たされるのですから、これは問題ないでしょう。

しかし、不自然な承認欲求の満たし方、手を抜いた承認欲求満たし方、まさに何でもいいから承認が欲しいという気持ち現れの行動の代表例としてあげられるのが、SNSにおける「いいね」通知です。

SNSの投稿記事も、質の上下はあるでしょう。
問題は質の低い記事を投稿して、承認欲求を満たす行動です
まさに、手を抜いた承認欲求の求め方の代表例です。

例えば、画像1枚に、文章は、北海道へ行ってナウ。

これだけの投稿で、「いいね」を押させようとする。

承認がほしくて、質の低い、薄っぺらい記事を投稿する。

投稿後はSNS内の友人の多さと比例して、「いいね」は押されるでしょうが。

この、「いいね」。

「いいね、いいね、どうでもいいね」の「いいね」かもしれません。

そして、不自然な承認欲求の求め方は、自己の自己承認欲の強さを、露呈しているのかもしれません。

承認欲求を満たすことは、人間としての根源的欲求でありますが、行き過ぎた求め方は、その人の人間性の評価にも発展するので注意が必要です。

また、承認欲求の強さは人によって様々であり、まったく、承認欲求に興味を持たない人もいるかもしれません。
全ては人様々。
違いは違いであり間違いではないのです。

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