自分の苦労話しから あなたは幸せと判断する考え方

「私はこれだけ苦労してきたの
 あなたの苦労は大したことないわ
 私を見習いなさい」

「もう私~~10年以上、この事で苦労しているの。あなた気楽そうねぇ」
「私は、あなたより苦労をしている人をいっぱい知っている」

このように上から目線で自己や知者の苦労話しをされ、私たちの苦労を軽いものと比較され、バカにされ、不快な思いをされた方も多々おられることでしょう。

私の経験した苦労に対して、あなたの苦労なんて。
傲慢です。

確かに、その人の経験してきた苦労は、並外れたものであり、大変な苦労の連続であったかもしれません。

経験した人にしか、その経験は分かりません。
相当な苦労をされたゆえに、自分は大変な苦労をしてきたと我を張るのでしょう。

しかし、その人は他者の経験、体験してきた苦労、苦痛等、理解しているのでしょうか。

大概、自慢する人間は自己中心性が高く、客観力の低さに共通性があります。

私は人間関係の基本は、相手理解にあると、思っています。
相互理解と言葉を変えても良いのですが。

苦労を自慢する人は、相手がどのような苦労をしてきたかは知らない。
ただ、自分の苦労は大変だったと思っているだけであり、目の前の人の苦労は軽視。
しかし、目の前の人は、もっとすごい苦労をしてきたかもしれない。

しかし、本当のところは、
苦労云々については、その事を経験、体験してきた人が何をどう感じたかが基準であり、同じ苦労をしてきた人でも、これは修行と捉え、さほどの苦労とは思っていないかもしれません。
苦労、苦労感とはこのように、自分の苦労に対する感じ方、捉え方が主な判断なのです。

人様々、感じ方の違いもあり、思い、基準の違いもあり、まして、相手の人生経験の詳細も知らずして、苦労自慢と、相手蔑視は、不遜の極みとなります。

まして、苦労を自慢とし、自分は偉いとし、相手を侮辱するわけですから。

もし、それだけの苦労体験をお持ちであれば、その苦労体験から学ばれたことを、今後の人生に活かしたり、自分が苦労したからこそ分かる、理解出来る、苦労から学んだことを、他者のために活用する等の方が、立派ではないかと思います。

どの世界においても、どのような自慢であれ、自慢し過ぎると、相手からの妬みも飼い、不快感も飼い、そして、何よりも嫌われる対象となるのでしょう。

苦労を知恵と昇華し、相手理解に努めれば、逆に、尊敬できる人になるかもしれません。

苦労自慢はほどとぼに。