主体性の発揮出来ない人生

主体性とは、行動面においては、自分が成すこと、やりたいことを自分の意思で決定、実行。
言語面アプローチにおいては、自分の意見や主張を、他者の気持ちを配慮しながらも、伝えるべきことは伝えること。

私は人生における主体性を、このように捉えています。

そして、主体性の発揮とは、行動面と言語面において、自己を確立している状態とも言えるでしょう。
自分の行動と言語に責任を持ち、そのことを実行していく。
自分の人生を、自分で決めて、責任を持ち生きていると捉えます。

さて、もし、主体性が発揮されず、自己が確立されていない状態であると、私たちにどのような不都合なことが起こるでしょうか?
主に、行動面、言語面(自己主張面)が弱い場合を示して書きます。

まず、私は人間関係とは、自分と他者の境界が大切であると考えています。
主体性が発揮出来ない人は、残念ながら、この自分と他者の人間関係の境界が弱いのです。
したがって、他者よりの影響、支配を受けた、人生を過ごすことになりかねません。

では、なぜ、主体性を発揮出来ない人たちが、自分の境界を持たず、他者の影響、支配(侵入)を許してしまうのでしょうか。

そこには、自己主張の問題が大きく影響していると思います。
すなわち、嫌なものは嫌と言う、姿勢です。
NOはNOなのです。

主体性を発揮出来ない人たちは、自己主張に対する難しさがあり、自分を抑圧して、他者の言いなりになってしまう傾向があるのです。

いずれにせよ、主体性を発揮出来ない人生は、自己存在の主張が弱く、他者に支配された人生につながります。
では、具体的に、主体性を発揮出来ない人の、人生の問題とは、どのようなものでしょうか。

1 自分の気持ちに反して 他者の指示により強制される行動の日々
2 自分の意見や、気持ちを他者に伝えられない 自己存在の希薄
3 対等な人間関係が築けず 傷つくことが多い 嫌なことを言われても我慢
4 自分で考えて行動しないので 主体性が培われない 主体性の基である思考の減退
5 人生において、我慢と抑圧を強いられる感覚を持ち生き続ける 自己価値の低下

以上のような問題が考えられます。
さて、これら主体性を発揮出来ない日々が続くと、人はどうなるでしょう。

自分の人生を自分で決めて生きることが出来ないため、常に心は不満で満ちているのではないでしょうか?

また、自分の人生を決める、すなわち、何をするか、どうするか決めることは、自らの選択権を行使するわけですから、誰でも選択の結果責任は当然問われるでしょう(様々な意味において)。

主体性を発揮出来ない人は、常に指示待ち、選択責任を取る怖さから逃げる傾向があり、自分で決めることを避け、自分の事を、人に決めてもらい続ける人生を、送り続けることになりかねません。
(他者に決めてもらえば、失敗した時、他者の責任へと転嫁出来るメリットもあります)。

また、人間関係、他者との関係性においても、自分を主とした主張が出来ず(例えば、私はこう思います、このように考えます等、自分の意見を主張)、他者より軽く見られ(何の意見もなく、何も考えていない人等と判断され)、悔しい思いをしたり、バカにされた態度を取られるかもしれません。

また、自己主張しないことは、自分を他者に理解してもらうことを諦めた態度でもあり、その結果、存在の希薄を招く(居るのか、居ないのか、分からない人)。

主体性を発揮出来ない人は、このような状態の中、日々、心中、主張したくても出来ない悶々とした気持ち、他者の自分に接する態度に怒りを感じているのではないでしょうか?
また、やるせない気持ち、虚しさに覆われているかもしれません。

さらに、主体性を発揮出来ない苦しみを、酒やギャンブルの刺激、麻痺感でごまかすことにつながりかねません。

さて、主体性。
私は本文において、主体性のない人とは、一言も書いていません。

主体性を発揮出来ない人と書いているのです。

基本的に誰でも、本当は主体性を発揮出来ます。

その為には、経験、スキル、学習も必要でしょう。

自分らしい主体性の発揮。
学習し、勇気を持ち、外に打ち出すことは、誰でもが可能であると、私は考えています。
(もちろん、過去の機能不全家族の親子関係の問題、また、いじめ等にあい人間不信の方もおられるでしょうが、自己の萎縮を解き、前に向かうことも、時が経ち、心の傷が癒えれば可能でしょう)。

主体性の発揮。

これは、すなわち、自己尊厳の回復なのです。