虚像 その背景にある心理

自分は何でも知っていると、延々と話し、猛烈な言葉の嵐を吹き上げるタイプ
または、自分はこんなに凄い人間だと、画像における強烈な自己PR。

私はこれらのタイプを虚像の人々と思っています。
虚像とは、偽りの巨像(自分を大きく他者に見せつける)とも、書き換えることが可能であり。
自分を大きく見せる、実力以上の自分を他者に見せつける。
それは、本当の実力の自分ではなく、嘘の自分。
虚像なのです。

虚像に溺れる人の心理とは、どのようなものなのでしょうか。
知ったかぶりで延々と話し出す。
または、自分はこんなに凄い人間だと、画像等を公開して、人々にその印象を植え付ける。

これらの言動、態度、行動には、どのような意味、心理的な構造があるのでしょうか?
また、そこには、本人の抱えている心の問題が、その根源にあるのかもしれません。

自分は何でも知っている 言葉の嵐を吹き上げるタイプ

どのような事柄でも、延々と話す人に出会ったことはありますか?
または、何を質問しても、すぐにその答えを述べる人。
私は過去、数回あります。

いずれにせよ、私の疑問は、この人達は、自分の話している内容を、本当に理解して話しをしているのか。
質問に対する答えを論理的に押さえ、質問者の真意を理解して答えているのだろうか?
疑問を感じる時があります。

雑念ながら、馬脚はすぐに現れます。

私は対個人の関係において長々、延々と話す人の前では、聞いてはいますが、何かおかしいと疑問を感じながら聞いています。
なぜなら、彼らの話しの内容は、自分は何でも知っているといったような暑苦しい圧を感じるのです。
(なぜ、何でも知っているのだろう?そのような人は存在しないはず)。
そして、長々、延々と話す人の共通の落とし穴。

知った被りによる、論理性なし、証明不可の言葉を、話が長くなるにつれ、平然と並び立ててくるものです。
話すことに夢中になると、脳の混乱を招き、自分が何を言ってのかさえ分からなくなるのかもしれません。

そして、また、何でも答える人。
実のところは何も知らない人なのかもしれませんが。

自分は何でも知っている、あなたより上ということを見せたいのでしょうか?
そうなると、傲慢となってしまいます。

何かを聞かれて、誠意のある対応、答えを述べるには、質問している相手の真意を理解する必要があります。

何でも即答える人には、相手の質問の真意を理解していない人が多いものです。

カウンセラーがカウンセリングを展開する時、何らかの質問をご相談者様から受け賜わり、それに対して答える時、その質問の真意が分からない場合は

「そのご質問について、もう少し深くお伺いしてよろしいでしょうか」等、ご相談者の質問対する、真意を探るか。

もしくは、「今のご質問は~~、という内容、及び、理解してよろしいですか」等、ご相談者様の質問の真意を確かめます。

質問に対して答える場合は、相手の質問の真意を理解しなければならないのです。

また、質問に対する答えが分からない時は、正直に、「分かりません、申し訳ございません」と素直に謝る方が、いい加減な返事をするより、人間性においても良いかと思います。

(少し、偉そうに書いてしまいましたが、心理カウンセラーである私もすべて質問に対する真意を常に確認しているかと振り返ると、カウンセリングの終了時間が迫っている時に、質問を受けると、時間に対する焦りから、過去あまり考えずに答えてしまっていた事もあると思います。これは反省)。

いずれにせよ、延々と偉そうな態度で話す人や、どのような質問でもすぐに答える人には、さほどの知識、知見がないにも関わらず、自分を大きく見せたいという、心の深層を感じてしまいます。

自分を大きく見せる。
巨像。
偽り、嘘の自分なのです。

その自分を演じている感覚は、優越感でしょうか。
それとも、脳のヒートアップにより、自己制御不能の状態なのでしょうか。
(しかし、この時、自分に対する信頼を失う可能性の高さを、ご理解されていないのでしょう。いい加減な事を平然と言う奴というレッテルを貼られることもあるでしょう)。

自分はこんなに凄い人間だと、画像を公開して、人々にその印象を植え付ける

今、SNS、インスタグラム等、自分の画像をネットに上げるのが主流の時代となっているようですが。

自分の画像をアップすることじたい、それは今の文化、人の在り方なのでしょう。
そのことについて、私が何かを書く気はありません。

しかし、今の自分の姿、生活とは、あまりにもかけ離れた、作り上げた虚像の画像をアップする、その心理は何でしょうか。
ナルチスト的な心理なのか、または劣等感の裏返し(優越への欲求)なのか、もしくは、何らかの病的な心理が働いているかもしれません。

また、行き過ぎた、虚像の自己像を常にアップするとなると、そこには他の目的、詐欺(私のような生活をしたければ、このような方法がありますよ)等のPR活動かもしれません。
実はこの問題、SNSを中心に、社会問題となりつつあります。

いずれにせよ、虚像の自分を維持することは、自分の人生に対しても、リスクのある行為とつながることもあります。

それは、その虚像と、現実の自分、自己の不一致において、悩む可能性、また、虚像を維持する為のお金を不当に得ようと、人を騙す行為に及ぶ時もあるでしょう。

嘘の自分を維持する為に、他者を騙し、また、自身が悩むかもしれないのです。
一旦、虚像の自分を人前に公開すると、「嘘の自分でした。申し訳ございません」とは、言えないでしょう。

正直に書くと、私には虚像の自分を、PRする心理はよく分かりません。
なぜなら、私にはその感覚がないからです。

しかし、先に述べたように、虚像の自分を常に見せびらかすこと、人々や社会に印象づけることには、どこかで行き詰る可能性が高いものです。
嘘をつき通すことは難しいのです。

虚像の自分と、現実の姿の自分との不一致で悩み、生き辛さを招いてしまうかもしれません。
また、ネットを中心に虚像の自己を表現し続けていれば、それが出来なくなった時、嘘が明白になった時、誹謗、中傷を受けられることでしょう。

ベターな選択としては、虚像の自分を創り上げないことです。

虚像と現実の自己の不一致は、自己の信頼を失い、かつ、人生の終焉を招くこともあります。

注意しましょう。