偏りがあっての人間・性格 

私たち人間(ホモ・サピエンス)は、2人として完璧に同じ考え方、行動パターン、性格特徴を持っている人はいません。

それは、生まれ育った成育歴、気質が違い、興味、好奇心、知性の違い等、何かが相違しているのです。

Index
1 偏りがあっての人間(偏りが悪いとは限らない)
2 偏りがないという人の偏り

1.偏りがあっての人間(偏りが悪いとは限らない)

さて、人の性格特徴や行動パターンに平均値を求めることは難しく、皆、各々の性格特徴、行動パターンがあり、主義、主張等も変わってくるものです。

そして、それは、その人の偏りとして、私たちの眼前に出現するかもしれません。
「何かあの人は偏った人」等の、言葉も聞こえてくることもあるでしょう。

さて、偏り。

あまりにも、偏りが過ぎると、社会生活上、その偏りが生き辛さや、社会問題を引き起こすこともあります。

例えば、何かにつけ批判の多い人、自分に都合の良いことしか考えない人、外では笑顔家では暴君、愛想のない話し方しか出来ない人等。

これらは、全て思考、行動パターンの偏りであり、外部からも観察可能なこともあり、その偏りが強すぎるため、社会適応、人間関係に支障をきたす場合もあるでしょう。

偏りついては、その多くは、意識レベルで注意をすれば、改善出来ることも多々あります。
属にいう、性格改善です。

自分がどのような時に、どのように考え、感じ、どのような行動・反応をするか等記録、または記憶。
そして、記録・記憶に基づき、考えを変え、それにより、感じ方、行動、反応パターンを変えていく、心理学・認知行動療法へとつながっていきます。

偏りとは、随時修正していくことも可能なのです。

そして、また、偏りそのものもが強みとなる場合もあります。

定めた目標に一気に突進、最短で成果をあげるエネルギーを持つ偏り。
常に人には親切しようとする気持ち、思いの偏り。

これらは、偏りという言葉よりも、人として理想的、模範的、強みの性格特徴と言葉を変換してもいいでしょう。

聖人とも称される人。
例えば、マザー・テレサ。
貧しい人々、弱者の救済の為に、自分の所有する物は全て捧げ、自分の所有物はほぼ持っておられなかったと聞いています。

これも、他者の為に全てを捧げる偏りです。
この偏りは、「強い人類愛」の発揮と言葉を変えることが出来ます。

しかし人によっては、マザー・テレサの行いは、単なる、お人良し、自分の財産を持たない等、おかしい人じゃないのと考えられるかもしれません。
この考えは、お金、財産はしっかり持つべきという偏りの思考です。

さて、偏り、偏りと書いてきましたが、偏り全てに問題があるわけではありません。
それが、社会を生きるうえで辛さを招かず、妥当性が高ければ、偏っていても問題はないのです。

偏りのない人はいません。
ただ、行き過ぎた偏りが問題を生じさせるのです。
この場合、心理カウンセリング等を通じて、性格改善を考えた方がいいかもしれません。

2.偏りがないという人の偏り

「私には偏りがありません」。
「私は全てにおいて公平です」。

このような言葉を仰る方がいたとしたら、「自己に対する偏りがないという」、偏りをお持ちの方です。

「自分には偏りがなく、全てを公平に見る」と、自分が自分に言ってるだけであり(もちろん他者にも公言しているのですが)、「自分には偏りがない」という偏りをお持ちであることは明らかでしょう。

人は皆各々違う、思考、行動パターン、知性を持っています。

それに基づき、発信、行動されていきます。

そして「自分には偏りがない」という発信は、偏りがある人を否定するメッセージ、及び、自己の絶対化を無意識に図っている可能性もあり、「自分には偏りがない」と公言される方は、相当強い偏りをお持ちの方と推察します。

さて、皆、偏りを持ってるのです。
それが、人間なのです。

何が間違いで、正解等は分かりませんが、それが、社会を生きていく上で支障がなければ、その偏りを、自己の個性、独自性として、自己の固有の財産として生きていくことも可能なのです。

偏り全てを問題視する必要もなく、性格特徴に対して、改善を考えなければならないわけではないのです。

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