望まぬ経験も必然か

人は様々な経験、体験を経て、今に至ります。
ある人は、あの経験、体験があったからこそ、今の心境の自分がいる。あの経験、体験に感謝していると言われるでしょう。

しかし、ある人は、あんな経験、体験、自分の人生にとっては何の意味もなく、役にも立たない。
なぜ、自分があのような経験、体験で苦しみ続けなければならなかったのか、分からないと、言われる方もおられるでしょう。

私は人が、どのような、経験、体験を背負ってきたのか。
また、今現在、その苦しかった経験、体験から抜けだしているか。
さらには、まだ、抱えきれないほどの、経験、体験中なのか。

その人の今の状況によって、体験、経験の意味は変わるのではないかと思っています。

さて、私はこの6年半(48歳5月以降から、今に至る)、望まぬ、経験、体験をしてきました。本来の心理カウンセラーとしても活動が、思うように出来なかった。
その理由の1つは、大阪市を出てしまったことが、その原因の1つですが。

私にとっては、辛かったのは、大阪市を出て、大阪市に帰ってくるのまでの、6年半、この時期の経験と体験です。

他市に移り、住めば都とも言いますが、住めば地獄とも言います。

自分の波動、波長(感性)の合わない町に住みますと、それが引き金となって、さらに、望まぬことが起こる。
このようにも感じています。

すべての人が、住む地域、街によって、辛い経験、体験をされるのか、統計がないので分かりません。
しかし、私の場合、確実にそうであったと実感しています。
私には波動、波長、感性の合わない、町、地域が確実に存在しているのです。

さて、大阪市へ戻って、6ヵ月が経とうとしています。
(大阪市へ戻っても、数カ月はイライラしていました)。
徐々に落ち着きを取り戻し、冷静になってきました。
やはり、大阪市は私に合うのでしょう。

そして、この6年半の経験は、自分ではコントロール出来ない、何かに振り回され続けた感じがしています。
自分軸を完全に失ってしまった感じです。
さらに、平素の私でしたら、出会う可能性のない人たちとも出会い、多々、不愉快な思いもしてきました。(なかには、よくして頂いた方もおられますが)。

(この期間の経験は沢山あり過ぎますので、経験のキーワードだけ書いておきます。不安神経症、半年以上寝込む、マンション、騒音、横柄な人々、ずっと苛々、難病、不眠、僻地、閉塞感、居場所がない、閉じこもる、アルコール多飲、難病が治る(通常治らない、心境は複雑)、希望の見えない絶望感、)。

いずにせよ、今の私にとっては、すべては過去のこと。
しかし、この過去を思い出すと、未だに不快を感じることがあります。
そして、それ以上に虚しさを感じます。

これら、望まぬ経験、体験から抜けた今、これらの経験、体験から何を得たのか。

私は今回の長い、スランプのような経験は、私自身、心理カウンセラーとしてのスキルアップの為の期間と捉えています。(意味付け)
心理カウンセラーとしての私は、おそらく今回の経験と体験より、進歩しているでしょう。

したがって、この6年半、自分では制御出来ず、振り回され続けたような、数々の経験、体験は、私自身にとって、必然の経験であったと捉えます。

人生に起こる経験、体験は必然である書くと、その言葉に、反感、悲しみ、怒りを抱かれる方もおられるでしょう。

しかし、辛い経験、体験が時ともに癒されはじめた時、その辛さ、悲しさより、今に目が向きはじめた時。

その時、人はこの辛い、経験、体験の中に、意味を見出し、その意味を具現化するために動き出すこともあるのではないでしょうか。

まさに、辛い、望まぬ、辛い経験が、これからの生きる力、知恵へと昇華したと感じられる瞬間ではないでしょうか。

人は学んだ知識を有益に活用して、生きる知恵へと昇華することも出来。

また、経験、体験から学んだことを、知恵(感覚、感性の上昇含む)へと昇華することも出来るのです。