見知らぬ人からのあたたかい親切

見知らぬ人、知らない人から、困っている時等、あたたかい親切(行為)を受けると、嬉しいものですね。
その親切は、一生忘れない、思い出すたびに、心温まるエピソードになるかもしれません。

例えば
・大阪地下鉄の駅で、ルート案内板より、行き先の駅が見つけられず、キョロキョロしていた時、ふと、どこまでですか?と声をかけられた時。
(東京ではあまり生じない現象かもしれませんが、大阪人はまだ人懐っこい)。
・おばあさんが思い荷物を持って歩いていた時、「持ってあげましょうか」と、優しい一
言。(持ち逃げされたら大変ですが)。

さて、私が覚えている見知らぬ人からのあたたかい親切は、もう、50年程前でしょうか。
小学生低年年の頃です。
私が1人で重たい荷物を持って、満員の市バスの中を立っていたら、どこからともなく、叔母さんの、「座りなさい」との優しい一言。

あの時は助かりました。
荷物が重すぎた。

見知らぬ人からの優しい、あたたかい親切。
生涯記憶に残ります。

さて、今の社会は昔に比べて、少し世知辛い気もしますが。
しかし、このことを感じる為には、それだけ生き年を重ね、昔と過去を比較することが出来ることが条件となります。

最近私は過去、過去に受けた親切を、誰かに返してあげたいなぁという気持ちになることがあります。
これが、老化による感覚の変化か、人間の本質の一部なのかは、分かりませんが。
しかし、あの時の親切より50年経った未だ、何も返していないような気もしますが。

私は人が社会において、社会が丸く回るためには、コミュニケーション、共感、親切、奉仕。
これらの言葉が重要な意味を持っていると思います。

困っている人が誰かはしらないけど、目に入ってきたら、コミュニケーション(状況確認)、相手は困っているのだという(認識・共感)、そして、親切、奉仕の行為。

私もいずれは、見知らぬ困っていそうな人に、積極的に声かけを行い、あたたかい親切、支援を行い、自分自身の人としてのステップアップを図りたいと思います。

いつかは、実行しよう。