他者に必要とされることの喜びと、自己犠牲の「落とし穴」
以前テレビ番組で、孤独を抱える方が「他者に必要とされる嬉しさ」を語られているのを見たことがあります。その言葉は、私たち多くの心に響くものでした。
逆に言えば、「誰にも必要とされない虚しさ」は、人間の根源的な痛みなのかもしれません。
他者に必要とされることの喜び、そしてその大切さは、私自身も深く共感するところです。
Index
1.「誰かの役に立つ」ことから生まれる生きる喜びと自己肯定感
2.「他者からの必要」が自己犠牲につながらないために

1.「誰かの役に立つ」ことから生まれる生きる喜びと自己肯定感
人生経験豊富な方の中には、他者に必要とされることこそが、自分が生きる喜びを見出す上で大切だと仰る方が少なくありません。
「自分を必要とし、待っている誰かのために生きる」。
そこにこそ、自分が生きる意味や、困難を乗り越えるための原動力を見出すと。
人間は、一人だけで生きていくのは難しいものです。
孤独は、時に私たちの生きる意味を削いでしまうことさえあります。
だからこそ、誰かに必要とされること、そのために行動することは、私たちに生きる意味とパワーを与えてくれるのでしょう。

人は、人の役に立つことから喜びを得るものなのではないでしょうか? かつて、ある賢人は「与えることは、受け取ること」と述べました。
誰かに何かをしてあげる行為は、まずその行為そのものが私たち自身の喜びとなり、その与える行為を通じて、私たち自身がより大きな喜びを受け取るのです。
もちろん、他者からの感謝があれば、受け取るものはさらに大きくなり、喜びも倍加することでしょう。
「人の役に立つ」と漠然と書きましたが、具体的にどのような行動がそれに当たるかは、人それぞれです。しかし、そこから得られるものは共通しています。

a)自己の発揮: 自分の能力やスキルを活かす喜び。
b)人との交流: 繋がりを感じ、孤立感を解消する。
c)自己存在の肯定: 「自分はここにいていいんだ」という感覚。
d)自己肯定感: 自分自身の価値を認められる感覚。
e)感謝される喜び: 自分の行動が誰かの役に立ったという実感。
「感謝されるために人の役に立つことをするのか?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、私は「人に感謝されるために何かを行うこと」は、とても立派な動機であると思っています。
誰かに感謝していただくこと、喜んでいただくこと、そして笑顔を見ることが、私たちの心の奥底に響く。
それは、心を持つ私たち人間にとって、ごく自然な感情ではないでしょうか。

2.「他者からの必要」が自己犠牲につながらないために
他者に必要とされることの大切さについて述べてきましたが、ここには一つ、注意すべき点があります。それは、他者に必要とされ過ぎてしまうことです。
他者からあまりにも必要とされ過ぎると、自分のことは後回しになり、他者を優先するあまり、自己犠牲を強いられてしまう危険性があります。
何よりも、私たちは自分自身を大切にしなければなりません。
「他者から何かを得たい」、「他者との関係性を大切にしたい」といった思いから、他者の必要を満たすことを優先したい気持ちはよく理解できます。
しかし、そのために自分自身が困窮し、心身をすり減らしてしまっては、元も子もありません。

まずは自分。
このバランスが何よりも大切です。
他者に必要とされることは素晴らしいことですが、「できないことはできない」、「無理なものは無理」「今は余裕がない」といった、自分の事情もしっかりと相手に伝え、理解してもらいましょう。
これこそが、対等で健全な人間関係を築く上での基本ではないでしょうか。
あなたは、ご自身の心と体の声に、きちんと耳を傾けていますか?