「自分に厳しく、他者に寛容な人」の真意とは?
私たちが目指すべき「寛容さ」について考える
私たちの周りには、「自分に厳しく、他者に寛容であるべき」という理想像を耳にすることがよくあります。
しかし、本当にそのような人は存在するのでしょうか?
そして、その「寛容さ」の裏には、どのような心理が隠されているのでしょうか。
今回は、このテーマについて深掘りしてみたいと思います。
Index
1. 「自分に厳しい人」が「他者にも厳しい」理由
2.「自分に厳しく、他者に寛容な人」の意外な側面
3.真の寛容さとは何か

1. 「自分に厳しい人」が「他者にも厳しい」理由
一般的に、「自分に厳しい人」は、その高い基準を自分自身に課し、達成しようと日々努力しています。この「厳しさ」は、目標達成への強い意志や規律性を示すものであり、素晴らしい長所でもあります。
しかし、人間には心理的な癖があります。
自分が自分に課している高い基準や規範があると、無意識のうちに、他者もその基準を満たすことが「当然」だと感じてしまうものです。
また、自分に厳しい人は、課した基準の達成のために常に努力しているため、自分自身に「余裕」を持つことができません。

その結果、他者に対しても同様に余裕がなくなり、寛容になれない傾向があります。
そして、自分が守っている基準を他者も守って当然だという、無意識的な傲慢さが顔を出すこともあります。
このような人は、自分自身の厳しい基準を満たすことで満足感を得(「自分はこれだけできる」)、それができない他者を厳しく評価することで優越感を得てしまう場合があります。
結果として、「自分に厳しく、他者にも厳しい」という傾向が生まれるのです。

2.「自分に厳しく、他者に寛容な人」の意外な側面
では、理想とされる「自分に厳しく、他者に寛容な人」とは、どのような人なのでしょうか。
私たちは通常、「寛容」という言葉から、他者の失敗や至らなさを責めずに受け入れ、次の挑戦を温かく応援してくれるようなイメージを抱きます。
しかし、「自分には厳しく、不寛容でありながら、他者には寛容である」という心理的なバランスは、果たして本当に成り立つものなのでしょうか?
もちろん、卓越した人格者や、非常に完成度の高い人は、真にそうあり得るかもしれません。
しかし、別の側面から考えてみることもできます。
それは、「自分には厳しく専念するけれど、他者のことには実はあまり関心がない、どうでもいいと思っている」という可能性です。

他者の失敗や不出来について、心の中では「どうでもいい」と思っているからこそ、表面上は穏やかに「次は頑張ってね」と声をかけることができる。
心から応援しているわけではなく、ただ「関係ない」という感情が、結果的に「寛容」に見えているのかもしれません。
自分に課した基準を達成することだけに目を向け続けると、他者は自分の目標達成とは直接関係のない存在、あるいは眼中にもない存在として映ることがあります。
その結果、他者の状況に対して深く感情を動かされることなく、一種の「無関心ゆえの寛容さ」として現れることも考えられるのです。

3.真の寛容さとは何か
もちろん、上述のすべてが「自分に厳しく、他者に寛容な人」に当てはまるわけではありません。
真に「自分にも厳しく、他者にも寛容」である人は、自己の成長を追求しつつも、他者の多様性や困難を理解し、共感する力を持っているはずです。
しかし、私たちが理想とする「寛容さ」が、単なる無関心や諦めから来るものではないか、と自問することは、自身の心の状態を見つめ直す良い機会となるでしょう。
自分に課す厳しさと、他者への寛容さ。
この二つのバランスは、私たちの人間関係や社会のあり方に深く関わっています。
あなたは、自分にとって、そして他者にとって、どのような「厳しさ」や「寛容さ」を求めているでしょうか。