自由と選択、そして責任の連続:何もしない「選択」がもたらすもの
私たちは、基本的に自由です。法律や公序良俗に反しない限り、その自由は無限に広がっています。
働くことの自由、結婚の自由、学ぶ自由…数えきれないほどの自由があり、何をしても良いという権利も与えられています。
しかし、この「自由」の本質とは一体何でしょうか?
働くかどうか、結婚するかどうか、学ぶかどうか。
これらはすべて、私たち自身が「選択」できることです。

自由と選択、そして責任
したがって、私たちの自由とは、まさしく選択の自由なのです。
何を選択しても良い。その一方で、決して忘れてはならないことがあります。
それは、一度選択したならば、必ずそれに伴う責任が生じるということです。
例えば、働くことを選択した場合、何らかの仕事に就くことになります。
仕事に就くということは、その仕事の遂行における責任が生じるということです。
企画や計画の責任、実施の責任、説明責任、納期に対する責任、さらには自身の心身の健康管理の責任など、多岐にわたります。
そして、これらの責任を果たし続けることで、私たちは一定の収入を得て、生活を成り立たせています。

では、働くことを「選択しない」場合はどうでしょうか。
もし25歳で働かないことを選択し、40歳になっても無職だったとします。収入はありません。
この場合、彼の責任とは何でしょうか?
それは、無職・無収入という状況の中で、いかに生きるかという責任です。
仕事に就くか就かないか、働くか働かないかに関わらず、私たちは生き続けなければなりません。
その「いかに生きるか」ということに、常に責任が伴うのです。
ここまでを振り返ると、私たちの自由とは「選択の自由」であり、その選択には必ず「責任」が伴うということがお分かりいただけたかと思います。

現状維持も「選択」、何もしないことも「選択」
人生とは、まさに選択と責任の連続です。
「選択」とは、新たに何かを選ぶことだけではありません。
実は、現状を維持することもまた一つの選択なのです。
そして、何かをすることも、何もしないことも、私たちは自由に選択できます。
しかし、いずれの選択であっても、それに伴う責任が必ず生じます。
そして、その責任を果たす中で、また新たな選択の機会が生まれるでしょう。
その新たな選択に対しても、再び責任が伴います。時には、まったく予期しない状況に直面し、そこでの選択と責任を求められることもあるかもしれません。

そうして選択と責任を繰り返し果たしていく中で、私たちの人生は紡がれていきます。
そして、私たちにとって最も大きな選択と責任は、他ならぬ「生きる」ということそのものに対するものなのです。
人生は、選択と責任を果たすことで、いかに生きるかという問いに向き合い続ける旅と言えるでしょう。