自分の「正しさ」にこだわる心理:その背景と影響
私たちは誰もが、自分なりの「正しさ」を胸に抱き、それを人生の指針として日々を過ごしています。
それは決して悪いことではありません。
しかし、問題となるのは、その「正しさ」へのこだわりが行き過ぎてしまうことです。
では、なぜ人は自分の「正しさ」にそこまでこだわるのでしょうか。
その背景には、様々な心理が隠されています。

自分の「正しさ」にこだわる心理の多様な側面
Index
1.社会的成功への固執
2.他者への不寛容(他者を受け入れない)
3.信念・思い込みによる「正しさ」
4.守るべきものを守る(社会的規範・ルールの遵守)
5.「安全」への過度なこだわり

1.社会的成功への固執
文字通り、自分の社会的成功を何よりも重視するタイプです。
自分が正しいと信じる方向へ、脇目も振らずに突き進みたいという強い願望を抱いています。
このタイプの人は、他者からの助言を「邪魔なもの」と感じがちです。
なぜなら、他者の意見を聞き入れることで失敗したり、遠回りしたりしたくないからです。
「自分が正しい」、「自分はすべてを知っている」という思いが強まるほど、自分の「正しさ」へのこだわりは増し、他者を排除しようとします。
「責任は自分が取るのだから、他者がとるべきではない。だから、自分の信じる正しい方向へ一気に進み、社会的成功を手に入れたい」という考え方です。
自分ですべてを負う覚悟があるからこそ、他人からの干渉は一切不要、といったスタンスと言えるでしょう。

2.他者への不寛容(他者を受け入れない)
この側面は、その人の性格的傾向が強く影響していると考えられます。
端的に言えば、他者を認めたくないという心理です。
なぜ他者を認めたくないのか。
その背景には、幼少期など過去に、身近な人から常に「あなたが悪い」といったメッセージを受け取り続けてきた経験が関係しているのかもしれません。
そのような状況の中で、心理的なバランスを保つために、「自分は悪くない」、「悪いのは他者だ」、「自分こそが正しい」という思い込みが生じていったと考えられます。

常に自分が正しいと思い、他者に不寛容でいることは、根拠のない他者批判や自己の傲慢さにつながるため、注意が必要です。
なぜなら、他者の有益な意見さえも「間違っている」、「聞く価値がない」と一蹴してしまうため、自分自身の成長が止まり、時には、自分のこだわりが強すぎた結果、誤った方向へ進んでしまうこともあるからです。
他者への不寛容な態度で自分が正しいと思われている方は、一度ご自身の生い立ちを振り返り、なぜそこまで自分の「正しさ」や自分自身にこだわるのか、深く考えてみる必要があるでしょう。
また、これまでの生活の中で、その不寛容さゆえに、様々な人との間にトラブルを抱えてこられたのではないでしょうか。

3.信念・思い込みによる「正しさ」
幼い頃から「こうあるべき」、「~してはいけない」、「~するべきだ」といった「べき論」を親から強く刷り込まれて育った場合、子供はその考えや思い込みを、唯一正しい生き方やあり方だと捉え、それを揺るぎない信念のように頑なに守ろうとする傾向があります。
親から刷り込まれた信念は、強い思い込みによって修正が不可能となり、唯一絶対のものとなります。そのため、その信念に反する生き方やあり方をしている人々に対しては、「間違っている」と憤りを感じることさえあるでしょう。
しかし、本当に親から刷り込まれたその信念は、あなたを幸せにするものなのでしょうか?
もう少し視野を広げ、様々な人の生き方を認めることで、新たな発見があるかもしれません。
もし、この信念に縛られていると感じるなら、心理カウンセリングや認知行動療法が役立つでしょう。

4.守るべきものを守る(社会的規範・ルールの遵守)
これは、「社会的正義を遂行する」と考えると分かりやすいかもしれません。
社会に存在する規範やルールを尊重し、それを遂行することこそが正しい行いであるという考えです。
生育歴において、規範やルールを尊重すべきだと強く教え込まれてきたのかもしれません。
私自身も、社会的規範やルールを遵守し遂行することは、円滑な社会生活を送る上で非常に大切であると考えています。
これにより、余計な不快な思いをすることなく、スムーズな人間関係を築くことができます。
しかし、規範やルールのみを尊重し、人としての感情を無視したり、ルールには明文化されていない人間関係の些細な側面を考慮できなかったりすると、単なる「頑固者」というレッテルを貼られてしまうこともあるため、注意が必要です。
また、そのような態度は人との交流を遠ざけ、孤独を招いてしまう可能性もあります。

5.「安全」への過度なこだわり
社会の規範やルールに従っていれば、自分の安全や身が保証されるという社会的な考え方です。
そのため、社会の規範やルールに従うことは当然正しい、と考えられています。
人が社会生活を送る上で、社会の規範、法律、ルールに従うべきであり、これらが自己の権利や人権を保障しているのは当然の考えだと言えるでしょう。
しかし、あまりにも安全への意識が強すぎると、「他者と関係を持ちたくない」、「他者に煩わされたくない」という思いも同時に強くなるかもしれません。
自分が安全に暮らしたいのであれば、規範やルールを守り、他者の権利を侵害しないこと。
互いに迷惑をかけないこと。
相互不干渉。
ここまでは理解できる範囲です。

ですが、この「安全」へのこだわりが行き過ぎると、「自分に迷惑をかける者は、自分の安全を脅かす者であり、排除する権利がある」といった、自己の「正しさ」を振りかざし、勝手な権利意識を抱いてしまう可能性があります。
自分が堅守している自己の安全へのこだわりを無視する者に対しては、こちらもその者の安全を保証しない、つまり「敵である。敵は滅ぼすために存在するのだ」といった、極端な考えに陥る危険性があるため注意が必要です。
また、あまりにも自己の安全にこだわり、法、規範、ルールに過度に縛られることで、助け合いの精神が発揮されなくなってしまうかもしれません。

自分の「正しさ」にこだわる心理は、多岐にわたります。
もし、ご自身の「正しさ」へのこだわりが、生きづらさや人間関係の困難につながっていると感じるなら、一度立ち止まって、その背景にある心理について考えてみませんか?