幸せを感じにくいあなたへ:追い求めるのではなく、今ここにある幸せを大切に
「今の自分が幸せかどうか?」
この問いに、あなたはどのような気持ちを抱くでしょうか。
幸せの基準や感じ方は人それぞれです。
「こうなれば幸せ」という思いも、お金、結婚、家族、キャリア、健康など、多岐にわたるでしょう。
もちろん、幸せを感じる基準に「正しい」「間違っている」はありません。
しかし、幸せを考える上で、特に注意すべきことがあります。
それは「幸せを追い求めすぎないこと」です。

幸せを追い求めるほど、幸せは遠ざかる?
幸せを追求し続ける限り、かえって幸せを感じにくくなることがあります。その理由を具体的に見ていきましょう。
Index
1.高すぎる目標設定がもたらす「不幸せ」
2.「幸せの追求」がもたらす終わりのない渇望
3.幸せは「考える」ものではなく「感じる」もの
1.高すぎる目標設定がもたらす「不幸せ」
私たちは皆、人生の目標を持って生きています(もちろん、今まさに目標を模索中の方もいるでしょう)。
目標を持つこと自体は素晴らしいことです。
しかし、その目標が現実離れしている場合、達成は極めて困難になります。
例えば、「年収1億円」「大企業の社長」「大臣」といった極端な目標は、達成が難しいだけでなく、たとえ達成できたとしても、本当に幸せになれるかは未知数です。
むしろ、想像以上の苦労やプレッシャーに押しつぶされたり、他者からの嫉妬に苦しんだりする可能性もあります。
そして、高すぎる目標設定は、「それができない自分」、「達成できない自分」を責め、低い自己評価や劣等感につながりかねません。
目標達成が幸せだと考えるのであれば、その幸せはあまりにも遠く、手に入れることが難しいものになってしまうのです。

2.「幸せの追求」がもたらす終わりのない渇望
「自分が描く理想の幸せの像があり、その目標に向かって努力すれば、必ず幸せを手に入れられる」。
このような信念を持つ方は少なくありません。
しかし、不思議なことに、幸せとは、追求し、手に入れた瞬間に色あせてしまうことが往々にしてあります。
ある状態に到達すれば幸せになれると考える場合、その状態を手にした瞬間は幸せを感じますが、その後、その状態から幸せを感じ続けることは難しくなります。
まるで、ゴールにたどり着いたとたん、次のゴールを探し始めるマラソンのようです。
この「幸せを追求しようとする人生姿勢」は、常に次の幸せを追い求めることを意味します。
せっかく手に入れた幸せを深く味わうことなく、次なる目標へと駆り立てられてしまうのです。
これは、永遠に幸せを追い求めることになり、終わりのない不満につながる可能性があります。
幸せとは、追い求めるものでしょうか?
もし今、あなたが置かれている状態に大きな不満がないのであれば、それこそが幸せな状態なのではないでしょうか。
際限なく「もっと、もっと」と欲することは、永遠の不幸せに陥るリスクをはらんでいます。どこかで「これで十分」という妥協点を見つけることも、心の平安には重要です。

3.幸せは「考える」ものではなく「感じる」もの
「どのような状態が幸せなのか」。
このように深く考え始めると、自分が本当に幸せなのかどうか、意外と判断が難しくなるものです。
もちろん、目標設定は大切ですが、前述の通り注意が必要です。
私たちは、日々の暮らしの中で心身に大きな異常がなく、無事に過ごせていることを、とかく「当たり前」と感じてしまいがちです。
しかし、「当たり前」は、決して「当たり前」ではありません。
- 幸せは、当たり前ではない。
- 日々の無事は、当たり前ではない。
このように考えてみると、いかに日々の無事がありがたいことか、深く感じられるのではないでしょうか。
日々の無事な生活に感謝する習慣を取り入れることは、幸せを継続するために非常に重要なことです。感謝の心は、今ここにある小さな幸せに気づき、味わうことを可能にします。
幸せとは、頭で論理的に「考える」ものではなく、心の奥底で静かに「感じる」ものなのです。