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協調性と同調性の違い:集団における自己のあり方を考える

同調性同調圧力といった言葉は、現代の人間関係における課題としてしばしば耳にします。
これらの言葉が意味するものと、前向きな協力関係を築く「協調性」との違いはどこにあるのでしょうか。

まずは、それぞれの言葉の定義を辞書(新明解 国語辞典 三省堂刊より)から確認してみましょう。

  • 同調: 自分の意見を出さず、他人の意見や態度に賛成すること
  • 協調: 相違点や利害などを譲り合い、共通の目標に向かって歩み寄ること

協調性と同調性の違いを考える

Index
1.協調性:目標達成に向けた「個人の尊重」と「責任」
2.同調性:集団からの排除を恐れる「自己抑圧」
3.協調性と同調性の決定的な違い

1.協調性:目標達成に向けた「個人の尊重」と「責任」

協調性とは、特定の目標を達成するために集まった組織や集団の中で、一人ひとりがどのように動くか、どのように貢献するかに関わるものです。その主体は、集団に属する個々人です。

集団の目標達成に向けて、メンバーがそれぞれの知恵や力を出し合い、協力し合う。
この原動力こそが協調性と言えます。
協調性の主役は参加者一人ひとりであり、それぞれのメンバーが自己の責任を果たすことが求められます。
この責任には、与えられた役割を協力して果たすことも含まれます。

また、集団活動を円滑に進めるためには、「周囲への配慮」「その場の空気を読んで自分の振る舞いを決める」といった配慮も大切です。
配慮を欠いた自分勝手な行動は、「協調性のない人」と評価されてしまうでしょう。

ただし、協調性を発揮するために最も重要なことは、自分自身が納得した上で行動することです。
集団行動に参加する前に、自分の意見や疑問点をしっかりと伝え、話し合い、納得してから参加する。そうすることで、主体的に責任を持って活動に取り組むことができるのです。

納得できないまま、不本意な気持ちで参加しても、主体性は発揮されず、責任を果たそうという意欲も湧きません。
協調性とは、個々人がそれぞれの意見を尊重し、納得して参加するからこそ生まれる、皆が主役の協力関係なのです。

2.同調性:集団からの排除を恐れる「自己抑圧」

一方、同調性は、目標の有無に関わらず、集団の雰囲気や空気を察知した結果、自分の意見を抑圧して周囲と同じような行動を取ることです。
本心とは違っていても、皆に賛成する振る舞いをするのが同調性です。

同調の世界では、皆と違う意見を言ったり、異なる行動を取ったりすると、「空気が読めない」と見なされ、グループから排除される可能性があります。

同調とは、「皆と同じようにしていろ、目立つな」という心理のもと、集団の空気や雰囲気に同質化することを意味します。

特別な目標があるわけでもなく、ただ集まっているだけの集団であっても、個性を発揮することは許されず、同質化を求められます。
そうしなければ排除されるかもしれない。
この無言のプレッシャーこそが、同調圧力なのではないでしょうか。

言いたいことが言えず、ただ周りに合わせるしかない。
排除されたくないという恐れから、自分を抑圧し、皆と同じ選択をしてしまう。これは、辞書の定義に記載されていたのですが、「周波数を合わせて調整すること」のように、自分自身を周りに合わせて調整している状態と言えます。

「他者とつながるために自分を抑圧する」という、どこか窮屈な社会の姿がそこにはあります。

3.協調性と同調性の決定的な違い

協調性も同調性も、いずれも集団に属したり、人とのつながりを前提とした行動です。
しかし、その根底にある考え方は大きく異なります。

協調性は、個人の尊重が前提にあります。
目標達成のためには、個人の意見を主張し、互いに譲り合い、納得して行動します。
たとえ組織の目標が大切であっても、個人の心理や精神的な健康を犠牲にしてまで協調性を優先すれば、かえって組織全体の損失につながりかねません。

もちろん、常に自分ばかりを優先すれば「協調性のない人」というレッテルを貼られてしまいます。
協調性と個人の尊重のバランスを取ることは、日本社会では特に難しい課題かもしれません。

しかし、同調性は、協調性とは異なり、無言の圧力に無条件に従い、自己を抑圧して皆と同じ意見や行動を取ることです。
自分を失ってしまうような、窮屈さがあります。
異質な者として排除されたくないという恐れから、同調の圧力に従わざるを得ないのです。

空気を読む」、「雰囲気を察知することは、人が社会で生きていく上で大切な能力です。
しかし、その能力を活かした上でどのように振る舞うかは、その人の自由であるべきです。

協調性も同調性も、その根底にあるのは「空気を読む」力かもしれません。
しかし、その力を「皆と協力し、より良いものを創り上げる」ために使うのか、それとも「排除されないために自分を犠牲にする」ために使うのか。

私たちは、何が何でも「流れや空気に従う」のではなく、自己の主体性も大切にできる社会、そして人生でありたいと願っています。

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