人生における「主体性」の回復:自己尊厳を取り戻す旅
「自分が自分であること」を阻むもの:主体性の重要性
Index
1.主体性:主体的な生き方とは何か
2.主体性が発揮されない人生の不都合:他者に支配される日々
3.主体性を発揮できない人の心の状態:不満、葛藤、そして虚しさ
4.自己尊厳の回復へ:主体性は誰もが発揮できる力
1.主体性:主体的な生き方とは何か
私たちは皆、「自分が自分であること」を求めて生きています。
そのためには、自分の人生を自らの意思で選び取り、行動することが不可欠です。
私が考える主体性とは、行動面では「自分が成したいこと、やりたいことを自分の意思で決定し、実行すること」。
そして、言葉の面では、「他者の気持ちに配慮しつつも、伝えるべき意見や主張をしっかりと伝えること」です。
つまり、主体性を発揮している状態とは、自分の行動と言葉に責任を持ち、自己を確立している状態と言えるでしょう。
自分の人生を、自分自身で決めて、その責任を負って生きること。
それが、主体的な生き方だと考えます。

2.主体性が発揮されない人生の不都合:他者に支配される日々
もし、この主体性が発揮されず、自己が確立されていない状態が続くと、私たちの人生にはどのような不都合が生じるのでしょうか。
特に、行動面や自己主張の面が弱い場合に焦点を当てて考えていきます。
まず、人間関係において「自分と他者の境界線」は非常に重要です。
主体性を発揮できない人は、残念ながら、この境界線が曖昧になりがちです。
そのため、他者からの影響や支配を受け、結果として自分の意思とは異なる人生を歩んでしまうことになりかねません。
なぜ、主体性を発揮できない人たちは、自分の境界線を持たず、他者の影響や支配(心の領域への侵入)を許してしまうのでしょうか。
そこには、「自己主張」の問題が大きく影響していると考えられます。

すなわち、「嫌なものは嫌だ」、「NOはNOだ」と、はっきりと自分の意思を伝える姿勢が欠けているのです。
主体性を発揮できない人たちは、自己主張に難しさを感じ、自分を抑圧して、他者の言いなりになってしまう傾向が見られます。
いずれにせよ、主体性を発揮できない人生は、自己存在の主張が弱く、他者に支配された人生へとつながりかねません。
具体的には、以下のような問題が生じる可能性があります。

A:自分の気持ちに反して、他者の指示により行動を強制される日々を送る。
B:自分の意見や気持ちを他者に伝えられず、自己存在が希薄になる。
C:対等な人間関係を築けず、傷つくことが多くなる。嫌なことを言われても我慢してしまう。
D:自分で考えて行動しないため、主体性が培われず、主体性の基盤となる思考力が減退する。
E:人生において、常に我慢と抑圧を強いられる感覚を抱き続け、自己価値が低下する。
このような、主体性を発揮できない日々が続くと、私たちの心はどうなってしまうのでしょうか。

3.主体性を発揮できない人の心の状態:不満、葛藤、そして虚しさ
自分の人生を自分で決めて生きることができないため、心は常に不満で満ちているのではないでしょうか。
また、人生において何をするか、どうするかを決めるということは、自らの選択権を行使することであり、その選択の結果に対する責任を負うことでもあります(様々な意味において)。
主体性を発揮できない人は、常に指示待ちで、選択の責任を負うことへの怖さから逃げる傾向があります。
そのため、自分で決めることを避け、自分のことを他者に決めてもらい続ける人生を送りがちです。
もちろん、他者に決めてもらえば、失敗した時に他者の責任に転嫁できるというメリットもありますが、それは同時に「自分の人生のハンドルを他者に明け渡している」状態だと言えるでしょう。

人間関係においても、自分を主語とした主張ができない(例えば「私はこう思います」、「このように考えます」など、自分の意見を主張しない)ため、他者から軽く見られたり、「何の意見もなく、何も考えていない人」と判断されて、悔しい思いをしたり、馬鹿にされた態度を取られたりすることもあるかもしれません。
また、自己主張しないことは、自分を他者に理解してもらうことを諦めた態度でもあります。
その結果、存在が希薄になり、「いるのかいないのか分からない人」といった印象を与えてしまうことにもつながります。
主体性を発揮できない人は、このような状態の中で、日々、心の中で主張したくてもできない悶々とした気持ちや、他者の自分への態度に怒りを感じているのではないでしょうか。
そして、どうすることもできないやるせない気持ちや、虚しさに覆われているかもしれません。
さらに、このような主体性を発揮できない苦しみを、飲酒やギャンブルなどの刺激や麻痺感でごまかしてしまうことにもつながりかねません。

4.自己尊厳の回復へ:主体性は誰もが発揮できる力
ここまで「主体性を発揮できない人」と表現してきましたが、私は本文において「主体性のない人」とは一言も書いていません。「主体性を発揮できない人」と書いています。
基本的に、誰でも本当は主体性を発揮できます。
そのためには、経験を積み、スキルを磨き、学習することも必要でしょう。
「自分らしい主体性の発揮」。
それは、学習し、勇気を持ち、自分の内から外へと打ち出すことで、誰にでも可能だと私は考えています。
主体性を発揮することは、すなわち「自分が自分であること」を取り戻すことです。
そして、それは何よりも、あなたの自己尊厳の回復につながるのです。

もし、ご自身の主体性についてお悩みでしたら、一人で抱え込まず、心理カウンセラーにご相談ください。
あなたの「自己尊厳の回復」への道のりを、共に歩むことができるでしょう。