惨めさと自己憐憫の沼から抜け出すために
「どうして自分ばかりこんなに辛いんだろう…」
そう感じたことはありませんか?
誰かと比べては、自分だけが不幸だと嘆いてしまう。
その感情は、まさに自己憐憫かもしれません。
自己憐憫とは、自分はなんて惨めなんだろう、かわいそうな人間だと、自分自身をネガティブな感情に追い込んでしまうことです。
その根底には「自分だけが辛い」という客観性を欠いた思考があります。
もちろん、この感情を抱くことを否定するつもりはありません。
誰もが、生まれたときから自己憐憫の感情を持っているわけではありません。

生きていく中で、さまざまな望まない経験が積み重なり、その結果として、どうしようもなく惨めな気持ちに陥ることがあるのです。
ただ、問題なのは、「自分だけが」惨めだと認識することです。
その考え方は、他者への羨望や嫉妬、さらには憎しみにすらつながることがあります。
しかし、忘れてはいけないのは、世の中には多くの人が、あなたと同じように、いや、それ以上に辛い経験をしているということです。
その経験の内容が違うだけで、挫折や苦しみを味わったことがない人はいません。
では、この自己憐憫という心の落とし穴から抜け出すためには、どうすればいいのでしょうか。

Index
1.誰かにすべてを理解してもらおうと思わない
2.「どうせ」という言葉を口にしない
3.ため息をやめてみる
4.信頼できる人に悩みを打ち明けるなら、回数を決めて
5.自己憐憫から抜け出すちめに:最後に
1.誰かにすべてを理解してもらおうと思わない
誰かに自分の全てを理解してもらいたい、共感してほしいと願うのは自然なことです。
しかし残念ながら、他者に自分のすべてを理解してもらうことは不可能です。
人は誰もが、自分の経験というフィルターを通してしか、他者を理解することはできません。
ましてや、あなたの惨めさや自己憐憫の感情を話すことは、聞く側にとって心地よいものではないかもしれません。
もし、話を聞いてもらいたいと思うなら、まずは「この人になら話せる」と心から思える信頼できる人を慎重に選びましょう。

2.「どうせ」という言葉を口にしない
自己憐憫に陥りがちな人は、誰かに分かってもらえないと、「どうせ誰も私のことなんて分かってくれない」と、心の中でつぶやいてしまう傾向があります。この「どうせ」という自己メッセージは、本当に誰もあなたから離れてしまう現実を招きかねません。
話を聞いてくれた相手に「分かってくれないんだ」という不満を向けてしまうと、相手は「せっかく話を聞いたのに…」と感じ、あなたの惨めさに付き合うことをやめてしまうかもしれません。
「どうせ」という言葉は、誰かへの不満であると同時に、あなた自身を深く傷つける刃でもあります。

3.ため息をやめてみる
「どうせ自分は何をやってもダメだ…」
そう言ってため息をついていませんか? ため息は、聞く人を不快にさせるだけでなく、あなた自身の気持ちをさらに落ち込ませてしまいます。
一人でいるときも、無意識のうちにため息をついてしまっているかもしれません。
確かな根拠はありませんが、「ため息は運気を逃す」という言葉もあります。
これは、ため息をつくことであなたの気分が下がり、行動力が失われてしまうことを言い表しているのかもしれません。

4.信頼できる人に悩みを打ち明けるなら、回数を決めて
自己憐憫の気持ちを一度、信頼できる人に話してみることは、心の整理に役立つかもしれません。
しかし、話せば話すほど、かえって「自分は惨めだ」という自己認識を強くしてしまう可能性があります。なぜなら、自分の耳でそのネガティブな言葉を聞くことで、その認識が強まってしまうからです。
まずは一度、思いの丈を語りつくし、ネガティブな気持ちを「空っぽ」にすることに集中してみましょう。
そして、そこから先は、どうすれば前向きになれるか、未来に向けた相談に切り替えてみるのです。
そうすることで、聞く側もストレスなく向き合ってくれますし、あなた自身も「惨めさ」の沼から一歩踏み出すきっかけをつかむことができるはずです。

5.自己憐憫から抜け出すちめに:最後に
自己憐憫の気持ちから抜け出すためには、まず「自分だけが辛いわけではない」という事実を受け入れることが第一歩です。
そして、ネガティブな感情を抱えたまま、ただ語り続けるのではなく、どうすれば気持ちが前向きになれるかを考えてみましょう。
あなたは、今の自分から抜け出したいですか?
もしそう願うなら、小さな一歩でもいい。
前向きな行動を始める準備ができたのかもしれません。