配慮心と譲る心:なぜ「譲れない人」が増えているのか?
公共の場で、席を譲るべき場面でスマホに夢中になっている人、急いでいるからと列に割り込もうとする人。
そんな光景を目にするたびに、「なぜ、この人は譲らないのだろう?」と疑問に感じたことはありませんか?
昔はもっと「譲り合い」の精神が当たり前だったように感じますが、現代社会では、その機会が少なくなっているように感じます。
もちろん、誰もが自分勝手で無関心になったわけではないはずです。
では、いったい何が「譲る心」を薄れさせているのでしょうか。
今回は、決して悪気があるわけではない、「譲らない・譲れない」人の心理について考えていきたいと思います。

「譲れない人」に隠された3つの心理
Index
1.自分に集中しすぎる「視野の狭さ」
2. 心の余裕がない「いっぱいいっぱい」な状態
3.「譲る」という感覚が育まれにくい社会環境(風土)
1.自分に集中しすぎる「視野の狭さ」
「譲る」という行動は、まず周囲に目を向けることから始まります。
困っている人や、自分が何か手助けできる状況に気づくことが、譲る行動の第一歩です。
しかし、現代社会では、多くの人が自分自身に集中しすぎる傾向があります。
特に、スマートフォンを見ながら歩く、音楽を聴きながら電車に乗るなど、自分だけの世界に入り込んでいると、自然と周囲への関心が薄れてしまいます。
その結果、困っている人がいても視界に入らず、気づくことすらできません。
悪気があるわけではなく、「気づいていない」ために譲ることができないのです。
自分に集中することは悪いことではありませんが、それが他者との摩擦を生む原因になる可能性があることを、意識しておく必要があるかもしれません。

2. 心の余裕がない「いっぱいいっぱい」な状態
普段は思いやりがあり、周囲に気を配れる人でも、譲ることが難しくなる時があります。
それは、心に余裕がない時です。
仕事でへとへとに疲れている時、急いでいる時、あるいは悩み事を抱えている時。
そんな時は、自分のことで頭がいっぱいになり、周りを見る心の余裕がなくなってしまいます。
譲るためには、「周囲を見る」、「状況に気づく」、「相手の立場になって考える」といった一連のプロセスが必要です。
しかし、心に余裕がない状態では、そのどれもが難しくなります。
「疲れている自分」、「急いでいる自分」という自分自身の状況に意識が集中してしまい、結果として「譲れない」状況に陥ってしまうのです。

3.「譲る」という感覚が育まれにくい社会環境(風土)
「譲る」という行為は、個人の意識だけでなく、育ってきた環境や地域の風土も影響します。
地域によっては、「我先に」、「自分が良ければいい」といった感覚が根付いている場所もあるかもしれません。
そのような社会風土の中で育つと、「譲る」という発想自体が生まれにくくなります。
こうした環境では、品行方正であることを大切にしている人ほど、周囲とのギャップに戸惑いやストレスを感じてしまうかもしれません。

もちろん、常に周囲に気を配り、譲ることに意識を向けなければならないと主張するわけではありません。
しかし、自分自身に集中しすぎるあまり、他者への関心が薄れていく現代社会の風潮には、立ち止まって考える必要があるように感じます。
「譲る」ことは、誰かに強制されるものではなく、お互いが気持ちよく過ごすための、ささやかな配慮。その大切さを、もう一度見つめ直してみませんか。