消えてしまいたい:自分という存在を「恥」と感じる心について
「消えてしまいたい」。
あなたは、この言葉からどのような印象を受けますか?
あるいは、あなた自身が今、そう感じていらっしゃるでしょうか?
今回は、この「消えてしまいたい」という感情、そしてその根底にある「恥」の感覚について、その心理と想いを一緒に考えてみたいと思います。

自分の存在を恥ずかしいと思うとき
自分の存在そのものを恥ずかしいと感じ、無かったことにしてしまいたい。
その結果、「消えてしまいたい」という感情が湧いてくる。
自分を「恥」と捉えてしまえば、この先も生きていくこと自体が恥ずかしく感じられ、存在を消してしまいたい想いは強くなる一方です。
そのお気持ち、私にもよく分かります。
では、私たちは一体、自分の何を「恥」と捉え、その感覚に縛られてしまっているのでしょうか。
大きく分けて、以下の5つの背景があるように思います。
Index
1.過去のミスに過剰に囚われている
2.家族の存在を恥じている
3.昔できたことができなくなった
4.社会に活動の場がない
5.未来に希望が持てない

1.過去のミスに過剰に囚われている
私たちは社会で生きる上で、何らかの活動に参加し、そこで成功することもあれば、失敗することもあります。
ミスをして叱られたり、「恥をかいた」と感じる体験は、誰にでもあるものです。
しかし、中には過去のネガティブな体験ばかりを反芻し、「あんなミスをした自分は恥ずかしい存在だ」と、過剰に自分を責めてしまう方がいらっしゃいます。
周囲から見れば「よくあること」、「ちょっとしたミス」であっても、ご自身の完璧主義がそれを許さないのです。
「恥をかいた」。
「こんな恥ずかしい自分は、消えてしまいたい」。

ですが、ミスは誰でもするものです。
反省は大切ですが、自分という存在そのものまで責め続ける必要はありません。
人はミスから学び、成長することも多々あります。
もし「ミスをした=恥ずかしい存在」だとしたら、世の中の人はすべて「恥ずかしい人」になってしまいますよね。
でも、決してそんなことはありません。
「消えてしまいたい」と思うほどの自責の念、とてもお辛いことと思います。
ですが、どうかそこまでご自身を追い詰めないであげてください。

2.家族の存在を恥じている
例えば、お酒に呑まれて外で大騒ぎをしてしまう父親がいるとします。
「恥ずかしい人」。
そう思うのも無理はありません。
しかし、父と自分は切っても切れない関係。
「父が変わらないなら、自分がいなくなればいい」、 「近所の目も気になるし、父と血が繋がっている自分まで恥ずかしい」。
そうやって、自分が消えることで楽になろうと考えてしまうかもしれません。
けれど、少し立ち止まって考えてみてください。
たとえ親子であっても、お父様とあなたは「別の心を持った、別の人間」です。
家族の行動を恥じるあまり、あなた自身の存在まで「恥」と同一視する必要は全くありません。
もし経済的な余力があれば、物理的に距離を置くことも一つの手です。
それが難しい場合でも、福祉などの専門家とつながり、助けを求めることができます。
問題を一人で抱え込まないでください。
家族の行動はあなたの責任ではありません。
あなたが消える必要など、どこにもないのです。

3.昔できたことができなくなった
年齢を重ねると、数年前には当たり前にできていたことが、できなくなる。
そんな体験が増えていきます。
私も現在、還暦を迎えました。
人の名前がパッと思い出せないなど、「昔とは違うな」と感じる場面が多々あります。
これからも加齢に伴い、できないことは増えていくでしょう。
しかし、これは生き物としての自然現象です。
少し視点を変えてみませんか?
昔と同じようにはできなくなったとしても、あなたには、今まで生きてきた長い時間の中で培った「知恵」と「経験」があるはずです。
その知恵を後進に伝えたり、形を変えて活かしたりすることは、私たち先人にしかできない役割でもあります。
「できないこと」を数えて自分を恥じる必要はありません。
それよりも、今日まで生き抜いてきたご自身に、どうか誇りを持ってください。

4.社会に活動の場がない
体力も気力もあるのに、人間関係のつまづきや社会への不適応感から、活動の場を失ってしまうことがあります。
「社会から弾かれた自分には、生きる価値があるのだろうか?」。
「自分は恥ずかしい存在だ、消えてしまいたい」。
社会に参加できない自分を「役立たず」と責め、鬱々としてしまうお気持ち、よく分かります。
しかし、あなたを受け入れてくれる場所は、必ずどこかにあります。
今、人間関係や社会適応に難しさを感じているのは、決してあなただけではありません。

不登校や、中高年のひきこもりの増加が示すように、これはあなた個人の問題というより、社会全体が抱える課題でもあります。
あなたが悪いのではなく、たまたま今の社会の仕組みと合わなかっただけかもしれません。
また、「活動の場」を限定的に捉えていませんか?
「学校に行かなければ」、「会社組織に入らなければ」という枠を一度外してみましょう。
社会には、有給・無給を問わず、様々な居場所があります。
あなたが安心して居られる場所、あなたを必要としてくれる場所は必ずあります。
焦らず、視野を広げて、ゆっくりと探していけば大丈夫です。

5.未来に希望が持てない
さて、ここまで「自己存在の恥」にまつわる4つの場面を見てきました。
・過去のミスを悔やみ続け、今を恥じること。
・家族という呪縛に囚われ、自分まで恥じてしまうこと。
・老いへの不安と、できなくなる自分への恐怖。
・居場所がないことによる無意味感。
これらはすべて、突き詰めれば「未来に対する希望が持てない」という状態と言えるのではないでしょうか。
もし未来に「こうなりたい」、「こうありたい」という希望があれば、人はその実現に向けてエネルギーを注ぐことができます。
そうすれば、「恥」の感覚よりも「これからどうするか」に意識が向き、「消えてしまいたい」という思いも薄らいでいくはずです。
「自己存在の恥」というのは、実はご自身が作り出した「思い込み」に過ぎないことが多いのです。
だから、消えてしまいたいと思う必要はありません。
とはいえ、すぐに大きな希望を持つのは難しいかもしれません。
まずは「今日一日を穏やかに過ごす」、「美味しいコーヒーを飲む」といった小さな希望からで構いません。
あなたが「自分の存在は恥ずかしいものではない」と気づき、ささやかな希望とともに「生きていてもいいかな」と思える日が来ることを、私は心から願っています。
