思いやりと知性

思いやりと知性の関係とは何でしょうか?
さて、まず思いやりですが、思いやりとは、親切心、親切な気持ち、親切な行為と、考えることが一般的だと思います。

思いやりとは、他者への親切心、親切な心、親切な行為。
しかし、思いやりを、それだけではなく、相手の立場に立った親切心、親切な心、親切な行為と考えるならば、相手の立場に立って考える知性が必要となり、思いやりの発揮と知性の関連性も、考慮しても良いのではないでしょうか。

さて、私たちは咄嗟の場合等(目の前で自転車がこける等)は、知性云々問わず、困っている人を、即助けに行かれることと思います。
これは、親切心、親切な気持ち、心が優先して動いていることを示す、1つの例だと思います。

しかし、思いやりと知性の関連性を考えると、非常事態は別として、心が咄嗟に動き行動すると言うよりも、思考(知性)において、相手の立場に立って考え、相手が困っていることは分かっているのだけれど、助けた方が良いのかどうか、考える.必要もあるのではないでしょうか。

例えば、相手が転職するかどうかで悩んでいる場合、さっと転職サイト教える等は、本当に相手の立場に立って、考えた行為なのでしょうか?

転職で悩んでいる人を助けてあげたい、困っている人を助けてあげたい親切心は分かりますが、相手は、じっくりと転職について考えたいのかもしれません。
また、すでに、その転職サイトについては熟知しているかもしれません。

ここにおいて、相手の望まない親切な行為は、余計なお世話となってしまうかもしれないのです。

これと同様、よかれと思って、すぐにアドバイス、助言をしてみたり等、しかし、相手はじっくり考えたいかもしれない・・・。

したがって、これらの場合において親切心を発揮するのであれば、今、何を目の前の人が悩んでいるのか、会話を通して、相手を理解、そして、相手の立場に立った、行為(親切)が望ましいのです。

相手の立場に立つためには、相手との会話を行う、相手を理解することが大切です。
そして、その時々の状況に応じて、適切な親切、行為、援助を行うことが一番でしょう。

むやみやたらと、これが親切と思って、何らかの行為を無遠慮に行うと、その人からすると、迷惑、おせっかいとなるので注意が必要です。

さて、ここまで書いて思ったことですが、

困っている人に対して親切心は大切ですが、状況によっては、相手との境界をひいて、客観的に相手を見て、相手の立場(要望把握)に立った親切な行為が大切であると、再認識しました。

あまりにも、自分が良かれと思って、相手のためと思った行為でも、そこに相手の立場に立つ、そして、相手との境界がなければ、親切の押し売りになるかもしれません。
また、境界がないために、次から次へと親切な行為を繰り出すと、相手からは、不要な行為の連続、自己の領域への攻撃と受け止め、トラブルのもとになるかもしれません。

もし、今まで、人に対して親切にしているのに、どうも、人間関係がこじれる事が多かった場合は、

・相手との会話を通して、相手の要望を理解していたか
・相手との境界はどうであったか
・相手の立場に立って、立ち振る舞っていたか

これらの点を検証されても良いかもしれません。

思いやりには知性が必要であることも多々あり、親切心ばかりを振り回すだけでは、相手からの不快をかい、せっかくの親切心が報われないこともあるでしょう。