「子育て経験がないと成長しない」は本当か?:人の成長と多様な経験
「子育ての経験がない人は成長しないのでしょうか?」 あるいは、「子育ての経験は人を成長させるのでしょうか?」 さらに踏み込んで、「父母になることは、人としての成長をもたらすのでしょうか?」
これらの問いは、多くの方が一度は考えたことのあるテーマかもしれません。
しかし、このテーマを考える上で、非常に大切な二つの視点があります。

子育ての経験がなくても、人は様々な経験をして成長する
Index
1.子育ての経験とは何か:その多様性と個別の成長
2.「人の成長」とは何か:多様な人生経験と内面の変化
1.子育ての経験とは何か:その多様性と個別の成長
まず、一口に「子育ての経験」と言っても、その内容は人それぞれ、実に多様です。
親の育児態度や子どもとの向き合い方によって、親子関係の形も子どもの成長も大きく異なります。
そして、その関係性の中で、子どもからの発信や影響を受けて親がどのように成長していくかもまた、多様なのです。
例えば、常に子どもと真摯に向き合い、コミュニケーションを重視し、子どもと共に親自身も成長しようとする姿勢の親がいる一方で、「子どもは親の言うことを聞くべきだ」、「親は絶対だ」と、子どもを支配し続ける親もいます。
この二つの極端な子育てにおいては、子どもの成長に明確な違いが出るだけでなく、親が子どもから何を学び、人間としてどのように成長するかも大きく異なるでしょう。
また、子育てには、ママ友との付き合い、PTA活動、経済的な負担など、様々な課題が伴います。
これらの課題に、親がどのように向き合い、乗り越えていくかという態度も人それぞれです。
こうした経験もまた、親が人間として成長する要因となることは確かです。

しかし、子育てから得られる経験が人それぞれであるように、その経験によって親がどのように成長するのかも、子どもや課題との向き合い方によって大きく異なります。
「子育ての経験が人を成長させる」という言葉は一見正論のように聞こえますが、その「成長の質」は一様ではないのです。
逆に言えば、子どもがいなくても、人は人生で多様な経験をします。
職場の苦労、仕事への情熱、経済的なチャレンジ、あるいは人生における様々な心理的葛藤や個人的な困難など、子どもがいるかいないかにかかわらず、人は多くのことを経験し、そこから学び、成長していきます。
したがって、子育てだけが唯一の「成長経験」であるとは言えませんし、「子育ての経験がないと人は成長しない」という考え方は、誤った主張であると断言しても良いでしょう。

2.「人の成長」とは何か:多様な人生経験と内面の変化
前述したように、人は人生において非常に多様なことを経験します。
他人から見れば気楽に生きているように見えたり、幸せそうに見えたりする人の中にも、実は多大な心の葛藤を抱えていたり、過去に相当な苦労を経験していたりする方も少なくありません。
人は「見かけ」だけでは判断できないものです。
人の成長とは、その人が経験したことから得られるものであり、子育てがその絶対的な経験であると考えるのは、あまりにも視野が狭いと言わざるを得ません。
「子育ての経験がないと人は成長しない」という考え方の根本には、単純な比較論があるのではないでしょうか。

様々な人の人生を拝見すると、その経験も成長の形も実に多様であることがわかります。
私自身、子どもはいません。
20代前半の頃、自分には子育ての能力がないこと、そして、もし子どもを持てば、虐待してしまう可能性があることも漠然と認識していました。
私の場合、子どもがいなくて良かったと心から思います。
その代わりに、人とは異なる、様々な紆余曲折の経験をしてきました。
子育ての有無に関わらず、人は生きている限り、何らかの活動を通じて必ず「経験」をします。
そして、その経験に向き合い、乗り越え、適応し、あるいは道を変えるといったプロセスを通じて、人は成長していくものです。

人が生きている以上、何らかの経験をし(あるいは経験させられ)、そして成長します。
その経験の質や量を他者と比較することは、非常に難しい、あるいは不可能だと言えるでしょう。
したがって、「子育ての経験があるから成長する」、「子育ての経験がないから成長しない」と、人の成長を単純に結びつけたり、議論したりすること自体が、そもそも不可能なテーマではないかと私は考えます。
人の成長は、もっと深く、もっと個人的な、多様な経験によって形作られるものなのです。