子ども時代の安定した家庭環境が自己肯定感の基盤となる理由
「子ども時代の経験が自己肯定感を育てる」。
この言葉を耳にしたことがある方は多いでしょう。
確かに、幼い頃の様々な体験、特に成功体験は、自己肯定感や自信の獲得にとって非常に重要だと言われています。
しかし、本当にそれだけで十分なのでしょうか?
自己肯定感と子供時の家庭・家族関係の影響について
Index
1.嫌々やった習い事や「できた」経験だけでは自己肯定感は育たない
2.自己肯定感の基盤は「温かな家族関係」

1.嫌々やった習い事や「できた」経験だけでは自己肯定感は育たない
私自身の幼少期を振り返ってみましょう。
そろばん、水泳、音楽教室、ピアノの個人レッスン、塾と、様々な習い事をさせてもらいました。
しかし、正直なところ、ほとんどが今の自分に役立っているとは言えません。
(ピアノだけは、後に少し役に立つ機会がありましたが)。
これだけの経験をさせてもらったにもかかわらず、なぜ自己肯定感につながることはなかったのでしょうか?
その理由は、すべて「できなかった」からです。
さらに言えば、興味のないことを「やらされた」、「経験させられた」、「押し付けられた」からに他なりません。
できないことや興味のないことを嫌々やらされても、そこから芽生えるのは劣等感や自己否定感、自己抑圧感だけです。

子ども時代の体験がその後の人生に大きく影響することは、私たち大人なら誰もが理解しています。
だからこそ、親は常に、子どもがその習い事や体験を心から楽しんでいるのかどうかを確認し続ける必要があるのです。
「子どものためを思って」と習わせたことが、結局は親の自己満足で終わってしまうことも少なくありません。
良かれと思ってやったことが、結果として子どもを潰し、将来の生きづらさの根源を作ってしまうことにもなりかねないのです。
また、何かを体験させる前に、その子が本当にその活動に適応できる性格なのか、子どもの個性と合っているのかをじっくり考えることも重要です。
子どもの性格に合わないことを強制的に体験させても、周囲との不調和を感じ、自己否定感を募らせるだけになるかもしれません。

「いや、そうではなく、子どもの抱えている問題を克服させるために、習い事をさせるのだ」という考え方もあるでしょう。
その場合は、子どもととことん話し合い、納得を得てからにすることが大切です。
例えば、私が小学生の頃、逆上がりができませんでした。
それを見た母は激怒し、夕方、私を公園の鉄棒に連れて行き、できるようになるまで横についていました。
最後はなんとかできましたが、私の中に達成感はなく、「やっと鬼から解放される」という安堵感しかありませんでした。
「できないことを努力して、できるようになれば自己肯定感につながる」と言われますが、子どもが興味を持たないことや性格に合わないことを無理やりさせても、たとえそれが「できた」としても、真の自己肯定感にはつながりにくいのです。

2.自己肯定感の基盤は「温かな家族関係」
さて、次に家族関係と自己肯定感について考えてみましょう。
「家族旅行は子どもにとって重要な思い出となるから大切だ」とも言われますが、毎年家族で行った旅行の記憶が私には一切ありません。旅行や特定の体験、そして自己肯定感。これらのことの前に、何よりも大切なのは、いかに良好で安定した、温かい家族関係、親子関係を築くかではないでしょうか。
そもそも自己肯定感の揺るぎない基盤は、子どもが一人の人間として尊重されること、そして心から大切にされることにあります。家庭の中に安全で安心できる居場所があり、子どもがリラックスした状態で日々を過ごせること。この家庭の温かさがあって初めて、子どもは子どもとしての人生を心から楽しむことができます。

そして、そのような安全な基盤の上で、子どもの興味のある習い事などを経験し、「できた!」という自己評価や、周囲からの肯定的な評価を得ることによって、自己肯定感は培われていくのだと私は考えます。
つまり、自己肯定感の真の基盤は、特別な体験や成功体験だけではなく、日々の生活の中で感じられる温かい家族関係にあるのです。温かさや安心感がない家族関係の中で、いくら習い事やイベントばかりに力を入れても、残念ながら真の自己肯定感や幸福感にはつながりにくいでしょう。
子どもたちが「自分はここにいてもいいんだ」「自分は愛されているんだ」と感じられる家庭こそが、未来を生きる彼らの自己肯定感を育む、何よりも大切な土壌となるのです。