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自分に興味がないと人生の失望を招く

人生の主役であるはずの「自分」に興味が持てない時、私たちはどのような心理状態で日々を過ごすことになるのでしょうか。

自己の希薄さは、他者への興味・希望にも関係し失望を招く

Index
1.「自分なんてどうでもいい」感覚がもたらすもの
2.自己抑圧と自分に対する興味喪失の関係
3.自分に興味がない問題は人生に対する失望へと発展する
4.人生の失望からの脱却のためには自分の外に興味を持つこと

1.「自分なんてどうでもいい」感覚がもたらすもの

私は子ども時代から青年期にかけて、まったく自分に興味が持てませんでした。

この「自分に興味がない」という感覚を深く掘り下げてみると、それは「自分なんてどうでもいい」という思いでした。

自分がそこに存在しているはずなのに、まるでいないかのような感覚。
自分がどうでもいいと感じると、他者もどうでもよく、まるで存在しないかのように思えてくるのです。

そして、自分に興味がないということは、「何が楽しいのか分からない」という感覚に直結します。
私は自分の感情が常に分からず、自分が今「生きている」という実感さえ希薄でした。
その結果、人と関わっても心から楽しめず、むしろ面倒に感じてしまい、最終的には「孤独」を選んでいました。

これは、自分に対する無感覚から生じる自己への興味の喪失、そして他者への興味の喪失です。
同時に、生きる感覚の希薄さから、人生の失望へと進んでしまう危険な状態だと言えるでしょう。

自分に興味が持てないと、当然、自分の趣味や嗜好、可能性の追求、本当にやりたい仕事など、人生の方向性を示す夢も思い浮かばず、分からない状態になります。
人生に対する興味のなさは、生きていることへの虚しさ、そして今を適当に生きる無機質な自分へとつながっていくのです。

私の場合、人と群れない「孤独派」でしたから、「なぜ自分は生きているのだろうか」という問いに、若い頃から常にぶつかっていました。

特別生きていたいわけでもなく、消えたいわけでもない。
かといって楽しいこともなく、ただ生きていることがつまらない。
では、なぜ私たちを苦しめる、この「自分に興味がない」という現象は生じるのでしょうか?

2.自己抑圧と自分に対する興味喪失の関係

「自分に興味がない」という問題の大きな原因の一つに、自己抑圧が挙げられると私は考えています。

誰しも好きで自己抑圧的な人間になるわけではありません。
生まれたばかりの赤ちゃんは大声で泣き叫び、多くの幼児は好き放題に走り回ります。そこには自己抑圧の姿は見えません。
むしろ、思う存分に自己を解放している姿が見られます。

もともと多くの人は、生まれた時から自己解放的な状態で生まれてきているのかもしれません。
それは、生命力の解放とも言えるでしょう。
これが「自然体」なのであり、自己抑圧は不自然な状態なのです。

では、いつから私たちは自己抑圧に悩むようになるのでしょうか。
考えられるのは、幼児期や子ども時代の親や周囲との関わり、学校でのいじめ、職場でのハラスメント、夫婦間におけるモラルハラスメントやDVなどです。

これらに共通しているのは、親や強者、あるいは多数派から否定され続け、心に深い傷を負ってしまうことです。それに対する過剰な自己防衛の結果、心を閉ざし、自己抑圧的な性格が固定化されてしまうと考えられます。

当然ながら、強者(親を含む)や多数派からの否定は、自己の尊厳を破壊し、自己無価値感(「こんな自分なんて」、「自分は生きていて価値があるのか」という感覚)や自己萎縮を生じさせます。
結果として、以下の問題につながりかねません。

  • 人との関係性を築くことの難しさ(対人不安)
  • 社会不適応感(自己価値の低下:自分を認められない)
  • 人に合わせ続ける問題(周囲からの排除を恐れる)
  • 何をしても楽しくない(感覚の低下)
  • 自分の可能性を放棄 (未来がない感覚)

感情が閉鎖され、自分の殻に閉じこもり、その中で震えるように生きることにもつながってしまうのです。

3.自分に興味がない問題は人生に対する失望へと発展する

そして、この問題は生きている実感の希薄さ強い自己否定感にも深く関係してきます。
自分に興味がないと、「何をしても無駄だ」という虚しさの感覚さえ抱き、何かにチャレンジして得られるはずの「自己肯定感」を育むことを阻害します。

また、生きている楽しさが分からず、日々を無機質かつ機械的に過ごしてしまうこともあります。

さらに、強い自己否定は自分を責め続け、自分を無視、ますます自己価値の低下をもたらします。
そして最終的にこれらは、人生に対する失望という希望の喪失をもたらしてしまうのです。

4.人生の失望からの脱却のためには自分の外に興味を持つこと

では、今、生きることが困難とさえ思えるような、この「人生の失望感」から脱却するためには、どうすれば良いのでしょうか?

人から受けた傷は、人を通して癒すしかない。
私はそう考えています。「希望」は、これから出会う人との関係性の中に見出すことができるはずです。

そのためには、自己抑圧に基づく「自分に興味がない」という感覚を一度脇に置いて、何か少しでも興味があることを試してみてはいかがでしょうか。

「こんなことやってどうする」などと、ネガティブに考える必要はありません。

また、絶対にやりたくないことは、無理にやらないことです。
それは自己抑圧感をさらに膨らませてしまいます。

自己否定をもたらすような余計な自己分析も一度立ち止まり、あまり考えないようにしましょう。

目の前のことに最善を尽くし(自分のネガティブな感覚から離れるため)、疲れない範囲で人とのコミュニケーションや付き合いをしてみるのも良いでしょう。

そして、虚しさあふれる自分の内面や、無感覚な自己の内面を見続けることよりも、外の刺激に少しずつ触れ、そこから自分の内面の感覚を活性化させ、自分の外に興味を持つのです。

自分の外に興味を持つと、自分自身にも新しく「やりたいこと」が見つかるかもしれません。
すると今度は、その「やりたいこと」を通して自分自身に興味を持ち始め、人生にも生きる楽しみが増えていくのではないでしょうか。

決して、一人で孤独に鬱々とならないことです。
人との交流、または外からの刺激によって自分自身を活性化させ、人生に希望を持ち、自分を大切に生きていきましょう。

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