スマホに夢中な親が招く「サイレントベビー」|泣かない赤ちゃんの心
サイレントベイビーとは泣かない赤ちゃんのこと
皆さんは「サイレントベビー」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
もしかしたら、「サイレントベビー」とは、「泣かない赤ちゃん」のことです。
「泣かない赤ちゃん」と聞いて、我慢強い子、手がかからない子だと良い印象を持たれた方もいるかもしれませんね。
しかし、心理学の世界で「サイレントベビー」とは、少し異なる意味合いで語られることがあります
Index
1.泣かない赤ちゃんが教えてくれること
2.スマホと子育ての間に生まれる、母と赤ちゃんの心の「溝」

1.泣かない赤ちゃんが教えてくれること
かつて読んだ心理学の書籍には、サイレントベビーについてこう書かれていました。
それは、「泣くことを通じて親に気持ちを伝えたり、要求したりすることを諦めてしまった赤ちゃん」のことだと。
赤ちゃんはまだ言葉を話せません。
だから、不快なことや何かをしてほしいことがある時、泣くことで自分の状態を必死に親に伝えようとします。
「お腹が空いたよ」、「おむつが気持ち悪いよ」、「抱っこしてほしいな」といったメッセージを、泣くことで発しているのです。
でも、赤ちゃんがどんなに泣いても、その訴えを親が無視し続けたらどうなるでしょうか?
心理学の観点からは、赤ちゃんは「親に何を訴えても無駄だ」と悟り、やがて泣くことをやめてしまう、つまりサイレントベビーになってしまうと考えられています。

サイレントベビーとは、親への絶望から何も訴えかけなくなった赤ちゃん。
子育ての経験がない私には、その真の存在を実感することはできませんが、心理学としては十分に考えられる説です。
人の性格の土台は、人生の早い段階、特に乳幼児期に形成される影響が大きいと言われています。
もし、人生の早期にサイレントベビーとして過ごしたとしたら、その後の性格や人生にどのような影響があるのでしょうか。
もしかしたら、「自分は親に相手にされなかった」という無価値感や自己肯定感の低さから、「人にも何も期待しない、要求しない」といった姿勢を持つようになるかもしれません。
無表情で、活気や精気に欠ける大人へと成長してしまう可能性も考えられます。

2.スマホと子育ての間に生まれる、母と赤ちゃんの心の「溝」
スマートフォンが社会に浸透して10年以上が経ちました。
私たちの価値観、考え方、行動パターンは大きく変わったのではないでしょうか。
しかし、赤ちゃんや子どもを育てるという親の役割、その本質は変わっていません。
もし、親が赤ちゃんの世話をしている最中に頻繁にスマホに目をやったり、赤ちゃんが泣いて何かを訴えているのにスマホを見続けたり、真剣に向き合わない状態が続いたら、赤ちゃんはどう感じるでしょうか。
考えるのではなく、純粋に「どう感じるか」です。
スマホに熱中し、子どもの面倒をきちんと見ない親、あるいは中途半端な関わり方しかせず、愛を感じさせない親。
乳幼児期にこのような体験をした子どもは、成長して学校や社会に出た時、人間関係をスムーズに築けるでしょうか。

サイレントベビーは、乳幼児期の体験から、成長しても自分にも周囲にも何も期待せず、何も要求しない人になるかもしれません。
自己の無価値感や自己肯定感の低下から、無表情で、何事にも意欲的になれない人になってしまう可能性もあります。
そして、人間関係の構築や社会への適応に困難さを感じてしまうケースも少なくありません。
子育ては、親にとって大きな喜びであると同時に、責任も伴うものです。
目の前の小さな命が発する声に、耳を傾け、心で感じ取ること。
それは、その子の人生の土台を築く上で、何よりも大切なことなのではないでしょうか。