残念な人生|自分の才能を活かせず老いる人生
ミッドナイトクライシスを乗り越えるために。60歳を迎えた私が考えること
私は現在、60歳になりました。人生の「最終章」に差し掛かっているのかもしれません。
これから何ができるのか、何を達成できるのかはわかりませんが、一度立ち止まって、これまでの人生を振り返ってみたいと思います。
この文章は、私の心の整理のため、そして同じような心の危機(ミッドナイトクライシス)を抱えているかもしれないあなたのために、書き記すものです。
さて、60年という私の人生を振り返ると、率直に言って「残念な人生」だったと感じます。
なぜ残念だったのか。それは、私が生まれ持った才能を十分に活かすことなく、人生の幕を閉じようとしているからかもしれません。

私たちは皆、それぞれに与えられた特別な才能を持っています。
私にとってそれは「天から与えられた能力」だと思っています。
その才能を活かせずにこの世を去ることは、一体何のために生まれてきたのだろう、という虚しさを感じてしまうのです。
私の価値観では、自分の才能を活かすことが「生まれてきた意味」につながると考えています。
だからこそ、その才能を活かせなかった人生は、私にとって「残念な人生」となってしまうのです。
そして、この残念さこそが、今の私が抱える虚しさの根源です。
Index
1.なぜ、自分の才能に気づくのが遅すぎたのか
2.自分の才能を活かすことは、人生の価値観の一つにすぎない
3.自己の才能に気づき、それを活かすためにできること
4.「残念な人生」を「残念ではない人生」に変えるために

1.なぜ、自分の才能に気づくのが遅すぎたのか
私が自分の才能だと認識しているのは、「洞察力、分析力、論理力、言語力、文章表現力」です。
これらの才能を活かせる仕事として、私は38歳から48歳まで、心理カウンセラーとして活動することができました。
しかし、病気の発症により、その活動は中断せざるを得ませんでした。
この事実に対して、私はさほど残念だとは思っていません。
なぜなら、一度は才能の花を咲かせることができたからです。
ただ、それを継続できなかったことは少し心残りです。

当時の私は、自分の才能を具体的に認識していたわけではありません。
ただ「何かできそうだ」という漠然とした思いと、運命的な後押し(シンクロニシティ)があり、心理カウンセラーの道に進みました。
しかし、今振り返ると、当時の私より今の私の方が、これらの才能は格段に磨かれていると感じています(自慢のようで申し訳ございません)。
そして、心理カウンセラーとして道を中断中、最近私は「本当はもっと才能を活かせる仕事があったのではないか?」と考えるようになりました。
それは、学者や研究職、特に人間全般の本質や進化を研究する、人類学者や哲学者でした。
心理カウンセラーは個々のクライアントと向き合いますが、私が本当にやりたかったの事は、もっと広い視点で「人間とは何か?」を掘り下げていく、研究であったと思います。
給料は多少低くても、自分の才能を最大限に発揮できる仕事に熱中したかったのです。
しかし、自分の才能を具体的に認識したのは、つい最近、60歳になる直前のことでした。
あまりにも遅すぎました。

2.自分の才能を活かすことは、人生の価値観の一つにすぎない
自分の才能を活かせない人生を「残念だ」と書きましたが、これはあくまで私の個人的な価値観に基づいています。
人生の目標や価値観は人それぞれです。
法や公序良俗に反しない限り、誰の価値観も批判されるものではありません。
・多くの収入を得たい
・組織に縛られず自由に生きたい
・家族との幸せを分かち合いたい
・趣味に没頭したい
・田舎でのんびり暮らしたい
・そして、自分の才能を発揮したい
このように、人生観は多様です。
だから、中には「才能の発揮なんてどうでもいい」という価値観を持つ人もいるでしょう。

でも、私は自分の生まれ持った才能を発揮する人生にこそ価値を見出し、そこに没頭したかったのです。
おそらく、これは「私という人間」への強いこだわりがあるからかもしれません。
そのこだわりが、才能を活かすことこそが人生の充実だと私に思わせているのでしょう。
それが叶わなかった。
それどころか、才能に気づくのが遅すぎたために、私は今、人生に虚しさを感じ、「残念な人生」だと認識しているのだと思います。

3.自己の才能に気づき、それを活かすためにできること
生まれ持った才能は誰にでもありますが、それに気づいている人は決して多くありません。
では、どうすれば自分の才能に気づくことができるのでしょうか?
a)「なんとなく興味があること」を大切にする
私は大学進学時、「なんとなく」心理学部を志望していました。
しかし、当時の私はコミュニケーションが苦手で、コミュニケーションの出来ない人間が心理学部に行ってどうするのだろうという疑問と、親にも反対され、その道を諦めました。
でも、今思えば、あの時すでに自分の才能を漠然とですが感じ取っていたのかもしれません。
明確な理由や根拠はなくても、「なんとなく面白そう」、「やってみたい」という好奇心や興味は、あなたの才能が眠っている場所を示している可能性があります。
その「なんとなく」を無視せず、一度チャレンジしてみる勇気を持つことが大切です。

b)専門家に相談する
自分ではどんな才能があるのか全く分からない。
そのような時は、キャリアカウンセラーなどの専門家に相談するのも一つの方法です。
客観的な視点から、あなたの強みや適性を見つける手助けをしてくれるでしょう。
c)西洋占星術など、自己理解を深めるツールを活用する
私は58歳から西洋占星術を学び始めました。
その学びの中で、自分の才能である「洞察力、分析力、論理力、言語力、文章表現力」に具体的に気づくことができたのです。
占星術は、生まれ持った才能や性質を示唆するツールの一つです。
スピリチュアル的なアプローチが苦手な方もいるかもしれませんが、自己理解を深めるための「きっかけ」として活用してみるのも良いでしょう。

4.「残念な人生」を「残念ではない人生」に変えるために
世の中で、自分の才能に気づき、それを仕事として成功させている人がどれくらいいるでしょうか?
私は、そう多くはないと思っています。
若い頃から自分の才能に気づき、それを活かせる環境に恵まれる人はごくわずかです。
多くの人は、私のように中高年になってから、様々な経験を通じてようやく自分を知り、才能に気づくことが多いでしょう。
その時に「もう遅い」と諦め、虚しさを感じる。
これこそが、中高年期に多くの人が直面するミッドナイトクライシス、心の危機なのだと思います。
もし、あなたが私と同じような虚しさを感じているなら、その気持ちはあなただけのものではありません。
その虚しさを少しでも和らげるために、自分の才能に気づいたのであれば、今からでも遅くはありません。
たとえ趣味のレベルでもいいのです。
その才能を活かすことから、始めてみませんか?
それが、いつか大輪の花を咲かせることになるかもしれません。
諦めないでください。

この文章は、私から私へのメッセージであると同時に
この文章が、あなたの心の整理の一助となり、未来を考えるきっかけになれば幸いです。