あなたが育てた子どもですよ |自分の子育ての問題を子どもに転嫁しないこと
先日、電車に乗っていた時のことです。ふと前の4人掛けの席から女性の声が聞こえてきました。
「この子はもう高校生なのに、まだきちんとした挨拶もできないの。恥ずかしいわ、情けないわ」
すると、向かいに座っている女性が応答して言いました。「〇〇さん、これからですよ」。
声のする方をよく見ると、中年の女性が2人と、若い男性(おそらく息子さんでしょう)が座っていました。
皆さんは、この車内での風景をどのように感じられるでしょうか?

自分が育てた子供の前で子供の愚痴を他者に話す愚さ
Index
1.親が他者の前で子どもの不満を話す時、その子どもは何を感じるのか
2.息子を育てたのは誰?あなた母親です
3.親の過干渉が、子どもの表現力を奪い、心を抑圧する
1.親が他者の前で子どもの不満を話す時、その子どもは何を感じるのか
高校生の息子さんを目の前にして、母親が「恥ずかしいわ、情けないわ」と貶めるような言葉を口にする。
私はこの母親がどのような感覚の持ち主なのだろうか、と疑問に感じました。一体、前の女性に何を伝えたかったのでしょうか?
そして、一番に心を痛めたのは、そこに座っていた息子さんの気持ちです。
彼はどのような思いで、その場にいたのでしょうか?

私は、息子さんが嫌な気持ちを我慢して座っていたのか、あるいは感情を閉ざし、何も感じないように努めていたのか、そのどちらかだと考えました。
いずれにしても、高校生という多感な時期の息子さんが、その場で自分を抑圧していたことは想像に難くありません。
さて、この母親の言っている内容には、大きな勘違いがあります。

2.息子を育てたのは誰?あなた母親です
母親は息子さんが挨拶もできない、となじっていますが、結論から言えば、「挨拶ができない息子さんを育てたのは誰なのか」という問いに行き着くのです。
この車内での風景が示す通り、息子さんは母親の心ない言葉に耐えています。
もし健全な精神を持った高校生であれば、この母親の態度に怒りを表してもおかしくないでしょう。
しかし、息子さんは耐えている。
その様子から、彼は日頃から自分を抑圧し、耐えることに慣れてしまっているのではないかと考えられるのです。

そして、この母親は日頃から過干渉であったり、しつけが厳しすぎたりするのではないか、とも思いました。
それは、子どもの「生きる力」を奪うタイプの親の特徴かもしれません。
生きる力を奪われた子どもは、大人になった際、社会生活を送る上で自己表現などに難しさを感じることが多々あります。
そして、挨拶とは、まさに自己表現の一つなのです。
親から生きる力を奪われた人は、最初の自己主張である挨拶すら難しいと感じる時が少なくありません。

3.親の過干渉が、子どもの表現力を奪い、心を抑圧する
さて、この問題の本質は何でしょうか?
それは、親が子どもに対して日々過度な干渉などを行う、という点にあります。
その結果、子どもは自己を抑圧し、他者との関わりが希薄になることで自分を表現するスキルが育たず、自己表現の仕方(挨拶の仕方)が分からなくなってしまいます。
そして、社会において自分を表現することに恐れを感じるようになるのです。
ですから、母親は息子さんが挨拶できないことを「恥ずかしい」、「情けない」と言っていますが、そのような息子さんを作り出したのは自分自身である、という認識が必要なのです。

したがって、息子さんが情けないのではなく、「自分が情けないと思う子どもを育ててしまった」、つまり「自分の子育てこそが一番情けなく、恥ずかしい」となるわけです。
もちろん、この場合、息子さん自身の成長の過程における挨拶を含めた社会性習得の努力が不足していたのではないか、と異論を唱える方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、人間関係を築くためには、自分を打ち出す自己表現が不可欠です。
自分を抑圧して自分を守るために自らの殻に閉じこもった状態では、人と深く結びつくことができず、そこから学ぶべき社会性も身につかず、結果として挨拶すらできない、となってしまうのは必然の理なのです。
親は子どもを育てます。
そして、生きる力や知恵を子どもに伝えます。

しかし、親のタイプによっては、子どもから生きる力を奪い、生きる知恵を授けることができません。生きる知恵とは、社会で生きるための知恵です。
過干渉な親から、自己を抑圧するという自己防衛の手段を学ぶことではありません。
この息子さんが、母親の過剰な干渉により、家族の機能不全から自己を抑圧し、自己を発揮できずに生きづらさを抱えているとしたら、それはアダルトチルドレンであると言えます。
アダルトチルドレンの親は、自分の育児が子どもを歪めてしまったという自覚が欠如していることが多々あります。
子どもを「親がつくった作品」と書くのは失礼かもしれませんが、敢えて書かせていただきます。
「ご自身でつくった作品に対して、一体何を文句を言っているのですか?」