植え付けられた問題:それは本当に「問題」なのか?
私たちは人生の節目で、さまざまな「問題」という壁に直面します。
就職、仕事の継続、結婚、子育て、日々の生活。こ
れらは解決しないと、今後の人生に大きく影響を及ぼすことも少なくありません。
自分の現在の状況や状態に対し、私たちはどう向き合い、どう解決を図るべきなのでしょうか?
生き続ける限り問題は生じ、解決を怠れば、生きづらさを引きずる状態が続くこともあります。
そして、その問題は、自身の内面の問題(考え方や感じ方から生じるもの)、環境適応の問題(学校、職場、地域など)、あるいは外部からもたらされる問題(仕事における課題など)など、多岐にわたる要因から生じます。

「問題」の正体を見極める
しかし、ここで立ち止まって考えてみましょう。世の中には、「植え付けられた問題」とでも言うべきものが存在します。実は、それは本来、問題ではないのに、いつの間にか「問題」として認識されてしまっているケースがあるのです。
1.他者から植え付けられた問題
私たちは日常生活の中で、本来なら問題視する必要のないことを、あたかも「問題」であるかのように扱われる場面に遭遇することがあります。
例えば、Aさんのケースを考えてみましょう。
Aさんは地域活動に積極的で、この夏も地域のお祭りのボランティアとして尽力したいと考えています。しかし、彼には悩みがありました。実は、Aさんは子どもが苦手で、正直に言えば嫌いなのです。
頭では、地域のお祭りに子どもが参加するのは当然だと理解しています。
しかし、子どもの大声や騒ぎ方、予期せぬ行動など、感覚的に子どもを受け入れることができません。そのため、彼は結婚する気もなく、「子どもはいらない」と強く思っています。
そんなAさんが、「本当に子ども嫌いの自分でいいのか?人としてそれでいいのか?」と疑問を感じ、カウンセリングを受けることにしました。

カウンセラーにこの悩みを相談すると、「それはAさんの問題です」と断言され、「子ども、大人、高齢者、全ての人皆平等。しかも、見ているだけで和む子どもを受け入れられないというのは、根本的に解決しなければならない問題である」と意見されたのです。
しかし、Aさんの「子どもを受け入れられない」という感覚や感性は、本当に問題なのでしょうか?
私(心理カウンセラー)の見解では、このケースは、カウンセラーの「博愛主義」が、Aさんに問題意識を植え付けた可能性が高いと考えます。
カウンセラー自身が「人は全て平等で、受け入れられる人と受け入れられない人がいることは問題である」という信念を持っているため、Aさんの感覚を「問題」だと捉えてしまったのかもしれません。
あるいは、カウンセラーが幼少期に親から虐待を受けていた経験から、「子どもは愛すべき存在」という強い信念や、「子どもという弱者は慈しむべき」という理想を抱いている可能性も考えられます。
いずれにせよ、カウンセラーは自身の信念や思考に基づき、Aさんに「問題」を植え付けたと言えるでしょう。

私の論としては、人間関係には相性の問題があり、感性や生理的に受け入れられない人が誰にでも、多々存在することは明確な事実だと認識しています。
Aさんにとって「子どもを受け入れられない」という感覚は、確かに彼の生い立ちや価値観、感性が影響しているのかもしれません。
しかし、これを「解決すべき問題」としてまで、本当に問題視する必要があるのでしょうか?
Aさんは自身の「子ども嫌い」を認識し、結婚も諦めています。
子どもが嫌い、あるいは受け入れられない感覚を持っているとしても、それで良いのではないでしょうか?
もちろん、Aさんが「子どもは虐待しても良い」と発言したり、騒いでいる子どもを怒鳴りつけたりするような行動をとれば、それは社会的な問題行動となります。
しかし、Aさんの内面で子どもに対してざわつく感覚や感性そのものについては、それはそれで良いと私は考えます。
地域の夏祭りには子どもも参加し、喜び、大騒ぎするでしょう。
であれば、Aさんはできるだけ子どもと接しない場所で、夏祭りのボランティア活動をされれば良いだけではないでしょうか?
「適当にやり過ごす」。これが一番賢明な対応だと私は考えます。

何かを相談したとき、相談員(カウンセラーを含む)がそれを「問題視」し、「解決すべき問題」として捉えることは多々あります。
この傾向は、相談員の価値観、生き方、主義に反する悩み相談において発生しやすいように思います。
「植え付けられた問題」。
本当は、問題を植え付けた側の問題なのかもしれません。
それは、「自分と異なる感覚、感性、思考を認めない」という、人としての基本的な問題である可能性もあります。
あるいは、「自分の方が上、偉い」と考えている傲慢さの問題に繋がりかねません。
私は人間関係において、受け入れられない人や、感覚、感性、性格が合わない人が存在するのは当然だと考えています。
したがって、それを「問題」化し、受け入れられない人を受け入れるように「正す」ことに重きは置きません。
放っておいてもその方の人生に生きづらさを招かないことであれば、問題視する必要はないのです。

2.自分が自分に植え付けた問題
植え付けられた問題には、もう一つ種類があります。
それは、「自分が自分に植え付けた問題」です。
これは、完璧主義の方によく見られます。
自分が成すこと、あるいは成そうと考えていること全てを完璧にできないことを「問題」としてしまうケースです。
これは、自身で問題を作り上げ、その問題にどう対処するかで悩んでいる状態です。
しかし、何事も完璧に、理想通りにできる人はいません。
人はスーパーマンにはなれないのです。
したがって、完璧という理想を下ろし、「問題を作らない」方向にシフトした方が良いのではないでしょうか?

「植え付けられた問題」への対処法
さて、ここまでの話を参考に、心理カウンセラーとして「問題」に対する提案をさせていただきます。
1.不要な問題は作らない
まず第一に、不要な問題は作らないことです。
「植え付けられた問題」もその一つです。
また、完璧主義に陥り、「完璧を達成できない」という、自分が自分に植え付けた問題であれば、その問題の根本を見直す必要があります。
2.問題と認識しても「放っておく」という選択
さらに、仮に「問題」と認識したとしても、「放っておく」こともできます。
人は様々な問題を抱えて生きています。
しかし、その問題の中には、解決を要さない、放置しても良い問題もあるのではないでしょうか。
客観的に判断することが重要です。

3.本当に解決すべき問題には向き合う
もちろん、「問題」が現在の自分、あるいは今後の自分の生きづらさや課題と思われるものであれば、その問題解決には臨む必要があります。
しかし、無用に問題視されたこと、植え付けられた問題、つまり実は問題ではないことを問題視して悩むことは、心の葛藤を生み、大切な時間を損ないます。
問題は問題ではないこともあるのです。
心理カウンセラーは、問題解決だけでなく、「問題消去」にも挑みます。
補記
今回の記事を読んで、ご自身の「問題」について、新たな視点で見つめ直すきっかけになれば幸いです。
あなたが今抱えている「問題」は、本当に解決すべき問題なのでしょうか?
それとも、実は「問題ではない」ものなのでしょうか?