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友達親子の落とし穴:見過ごされてきた社会的弊害と子育ての課題

以前から「友達親子」という言葉に、私は漠然とした違和感を抱いていました。
また、「褒める」ことを主軸とする現代の子育てや、無理に子どもを褒めようとする母親たちの姿にも、同様に疑問を感じていました。

なぜ今、「友達親子」が問題なのか

Index
1.「叱れない」親が招く社会のひずみ
2.「叱る」と「褒める」のアンバランスがもたらす問題

1.「叱れない」親が招く社会のひずみ

先日、NHKのクローズアップ現代で、「社員を叱れない上司」、「『鬼』がいない企業」というテーマが取り上げられていました。
企業では、新入社員を叱ると退職率が上がったり、やる気を失わせたりする問題が顕在化しているそうです。

この問題の根源はどこにあるのでしょうか?

私は、「叱られた経験がない」ことにあると考えています。

突然、会社で上司に叱られ強いショックを受けるのは、まさに「叱られ慣れていない」から。
これは、家庭で十分に叱られてこなかったことを意味します。
まさに、「友達親子」の弊害と言えるでしょう。

もちろん、学校教育の現場でも、保護者の要望から先生方が強く叱ることを控える傾向にあるようです。こうした状況を受け、企業側は「叱る」よりも「褒める」ことに注力し、新入社員を育成しようと試みています。

しかし、これもまた別の危険をはらんでいます。
仕事は企業内だけで完結するものではなく、顧客との関係性があってこそ成り立ちます。
顧客との間に金銭が絡む契約が存在する以上、顧客の立場は絶対であり、時には顧客から叱られたり、怒鳴られたり、罵倒されたりすることも当然あります。

そのような状況に直面したとき、新入社員は会社を辞めてしまうのでしょうか?
叱られることを極度に恐れている彼らにとって、それが現実となった時のショックは計り知れません。

2.「叱る」と「褒める」のアンバランスがもたらす問題

人の成長には、「褒める」ことと「叱る」ことのバランスが不可欠です。
しかし、現代社会、特に子育てにおいては、「叱る」ことにネガティブなイメージが強すぎるのではないでしょうか。

「叱る」とは、その行為や態度に対する注意であり、決して人格の否定ではありません。
私たちは、「叱る」ことを「人格の否定」と混同している傾向があるのかもしれません。

「叱る」 とは、相手のことを真剣に思い、より良い方向へ導こうとする行為です。
一方、「人格の否定 とは、能力の有無に関わらず、相手を「バカ」や「アホ」などと中傷し、心を傷つけるものです。
当然ながら、人格の否定は人の心を破壊します。

「叱る」ことには、以下のようなメリットがあります。

  • 「二度と同じ過ちを繰り返さない」という強い認識を促す
  • なぜそのようなミスをしたのか、深く話し合い、原因を究明する
  • 改善点や工夫を自ら考えさせ、思考力を向上させる

しかし、その中でも最も重要なメッセージは、「このミスは二度としてはいけない」という点にあるのではないでしょうか。

子育てにおいては、社会生活を送る上で「してはいけないこと」を教えることが不可欠です。
企業においては、同じ社員が同じミスを繰り返せば、顧客の信用を失い、ひいては企業自体の信用を失墜させかねません。

「褒める」ことと「叱る」こと。
この両輪が、子どもが社会で活躍するために不可欠であるにもかかわらず、「友達親子」、すなわち「叱れない親」は、子育ての一部を放棄していると言ったら、言い過ぎでしょうか?

もし、企業に入社した新人が、叱られたことをきっかけに退職し、それが原因で「叱られることへの恐怖」から引きこもってしまうような事態が起こったとしたら、その責任は誰が負うべきなのでしょうか。

「褒める」ことに注力することは時代の流れかもしれませんが、「上手に叱る」ことの重要性を再認識し、「褒める」と「叱る」の健全なバランスを考えることが、今、私たちに求められているのではないでしょうか。

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