子供を虐待する親の心理

虐待。
親の子供に対する虐待は年々増加しています。

そして、その多くは、親が子供の世話をしない、無視(ネグレクト)、激しい暴力と、狂気と凄まじさがあります。
親から虐待を受け続けている子供は、その命の安全を守るために、子供を親から引き離し、施設で暮らすことが安全とされることもあります。

それでは、なぜ、親は子供に対して虐待という行為を行ってしまうのでしょうか。

さて、まず、虐待ですが、虐待にも2つの虐待があります。

肉体的虐待と、心理的虐待です。

さて、親より何の虐待も受けてこられることなく成長した人は、肉体的虐待に対しては、その苦痛に対して理解を示しても、心理的虐待に対しては、理解出来ない、その虐待を受けた人の気持ちを把握できないことが多いようです。

彼らは次のように言うでしょう。

「べつに叩かれたりしたわけでもなく、育ててもらったのだから、親に感謝しなさいよ。あなたの方が恩知らずじゃないの」等。

肉体的虐待と心理的虐待

肉体的虐待と心理的虐待。

違いは何でしょうか。

肉体的虐待とは、文字通り、肉体に損傷を与える、命にも関係する危険な虐待です。
世話をしない、食事を与えない、外に出さない、外に放り出す等。
まともな知性のある人間の行為とは思えません。

また、親によっては、子供の身を守る為に、瞬間的判断により、子供を叩いてしまった。子供を虐待してしまったと悩まれる方もおられますが、これは、虐待ではありません。

子供の身を守るため、どうしても、子供を叩かないと分からない時、子供の瞬時の安全のため、叩いてしまったあとは、抱きしめて、あやまり、子供の心をケアしてあげれば良いと思います。

但し、叩いては、あやまり、そして、心のケアの連続。
これを日々続けて行いますと、子供の心理、精神は破綻するかもしれません。

さて、肉体的虐待に対して、心理的虐待とは何でしょうか。

これは、主に暴力を振るうこともなく、子供の世話も、きちんとされるのですが、子供を言葉で追い込む(暴言)主とした、虐待です。

その他、比較により劣等感を植え付けたり等、子供の心理状態を苦しめるものです。

心理的虐待にあった子供は、成人しても、親の心理的虐待、養育問題より、自己萎縮、自己抑圧、漠然とした不安感、対人不安より社会不適応を招き、生涯の苦しみを味わい続けることもあります。

もちろん、このことは、肉体的虐待を受けた子供たちにもみられる症状です。

なぜ、子供を肉体的に虐待するのか

肉体的虐待について、私なりに書きますが、実際は肉体的虐待は、心理的虐待を包括しています。

肉体的虐待、世話をしない、食事を与えない、暴力・暴言、まるで、子供を1人の人間として認めていません。

そして、これらの行為は、犯罪と認定される場合もあります。

さて、肉体的な虐待ですが、この一番の問題は、親の未熟、自分勝手な人間性にあるのではないでしょうか。

子供がいるから楽しめない、うるさい、黙らせてやる。
要は自分が第一で、子供は2つ次なのです。

自分の楽しみ、快楽を邪魔をする対象が子供であり、憎悪の感情すら抱いているのではないでしょうか。

また、虐待をする親は、虐待をされていた子供時を過ごしていたケースも多いと言われています。
まさに、虐待の連鎖なのでしょう。
(但し、子供時、虐待を受けて育った親が、必ずしも、虐待をする親になる、悲惨な家庭をつくるとは限りません)。

そして、子供を叩く、肉体的虐待ですが、親が感情のコントロールが出来ず、悪いことをしていると認識していおり、叩き続ける、結果として虐待行為を行い続けていると認識されているケースが多々あることは知られています。

おそらく、子供がうるさい等に過敏に反応、または、自分の思い通り、子供と接したい。
さらに、子育てに相当なストレスとプレッシャーを感じ、そこから生ずる怒りが、攻撃性となり子供に向かっているのではないでしょうか。

自分が感情のコントロールが効かず、子供を叩き続けてしまう等、虐待で悩まれている場合、パートナーに相談、または、行政における子育て支援に相談することが一番ではないかと考えます。

このような、肉体的虐待を行ってしまう場合、親の心理面のケア、心の安定化は欠かせないように思います。

心理的虐待

心理的虐待とは、子供に愛情を持っているとは感じているが、暴言、時には暴力を振るい、子供の心に深い傷を残します。

その背景には、子供を自分の思い通りに育てたい、親の自己中心性の心理が働いていると考えられます。

その、思い通りに育てたい心理も、様々に分類されるでしょう。
例えば

a)責任感

子供が社会的な問題を起こさないよう、常に監視を行い、親の定めたルールを守らせる。
子供が、親の定めたルールを破ると、子供を責め立てる。

しかし、ルールとは、親が一方的に定めるものではなく、子供と話し合い、双方、納得のうえ、定めるものです。

一方的に、親の価値観に基づくルールの押し付けは、親の責任感を果たすため、また、しつけの為と称しても、子供の人権を無視しているでしょう。

b)親の期待を満たすため

親が自分の求めるような人になって欲しい(例えば、学歴、入社会社規模、収入等)、その為に、子供に対して出来たら褒め、出来なければ暴言、罵倒して、子供を萎縮させる。

子供を叱咤激励していると、親は考えられているかもしれませんが、これも、子供の「個」を尊重することなく、親の支配性を前面に出し、子供を私物化しています。

心理的虐待とは、本当に文字通り、子供の心を無視して、親の支配性より、暴言、罵倒、認めない等の、人間の尊厳を損なう行いにより、子供を虐待しているのです。

いずれにせよ、子供を心理的に追い込む、心理的虐待は、親はその行為を虐待とは意識していないでしょうが、子供の個を認めない、人間性を認めない以上、言語的には、子供は親の私物化となり、虐待となります。

そして、心理的虐待を受け続けた子供は、親の期待していたこととは逆に、親の期待通りにならないことが多く、親の心理的虐待のため、心理的萎縮、社会不適応、ひきもり、または、うるさい親から逃れる為、反社会的な者に取り込まれ、非行等に向かうかもしれません。

また、仮に親の期待を満たす者になれたとしても、それは、親の期待に沿った人生であり、自己決定力の欠如、やりたいことにチャレンジ出来なかった、自己抑圧、自分の人生を歩めなかった等の、無力感、失望感等により、生きる意味を見出せなくなってしまうかもしれません。

肉体的虐待、心理的虐待。
どちらにせよ、子供の心と人生を潰してしまうのです。

子供は親から潰された、「心」の回復に向けて、独自で立ち向かう試練を背負い込むのです。

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