社会的ひきこもりのカウンセリングは受け賜わっていません

カウンセラーが社会的ひきこもりの経験がないため

心理的ひきこもりとは、社会活動(学校、就業等)を、誰にも心を開くことなく、行っている方のことです。

かつての私が、心理的ひきこもりでした。

社会的ひきこもりとは、社会活動を心に抱えている問題から出来ず、家(部屋)にこもっている方のこと。

私は心理的ひきこもりと、社会的ひきこもりを、明確に区別しています。

カウンセリングにおいても、心理的ひきこりの相談は受け賜わりますが、社会的ひきこもりの相談は受け賜わっていません。

私が社会的ひきこもりの相談を受け賜わらないのは、その実経験・体験がないからです。

社会的ひきこもりの方は、社会活動が出来ず、ずっと家、部屋にこもり、そのお気持ちは辛いと頭では認識出来ます。

しかし、その気持ちを、感覚的に私は経験していないのです。

私のひきこもりの経験は心理的ひきこもり

私は小学生時より、心を閉ざして学校に通っていました。

学校内、クラス内では、自分の気配を消し、感情、感覚をとめて、何も感じないようにしていました。
クラスの様々なことに反応していては、そこに自分が居続けることが難しく、学校に行くことにストレスを感じ、通学が難しくなっていたと思います。

自分の気配を消す、無感情、無感覚で、そこに居続ける。
居るか、居ないか、分からない存在。
これは、そこに居るために、私が取った、自己防衛手段です。

そして、23歳(1988年)から会社員として働き始めました。
この時、今まで誰とも心を通わせなかったことから、社会性、対人スキルを培っていない反動がやってきました。

会社では、学校のように自分の気配を消す、自己防衛手段は通用せず、自分が主体的に動き活動しなければならず、常に周囲にも見られており、心理的苦痛は相当高く、毎日、辞めたい、辞めたいと思い、通勤していました。

しかし、私には、ひきこもるという発想がなく、ひきこもるという選択もありませんでした。
当時、ひきこもりという言葉は希少であったと思います。

ひきこもりという言葉に照らし合わせて自分の人生を振り返ると、48歳時、脳神経のダウンから動くことが出来ず(生体反応)、1年近く、部屋を暗くして寝ざるを得ない状況に追い詰められましたが、それ以外、私はひきこもった経験はありません。

今では、逆にずっと家にいるとストレス、イライラ感が高まります。

以上のように、私には、心理的ひきもり(社会に居るための自己防衛手段)の経験はありますが、社会的ひきこもりの経験はないのです。

したがって、経験がない、社会的ひきこもりの方のカウンセリングは受け賜わっていません。

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