人が人に親切な行いをすることは、偽善なのでしょうか?
そんなことはないと断言しますが。
でも、考え過ぎる人は次のように仰るでしょう。
私は本当は・・・。
「感謝されたいため」
「ありがとうの言葉が欲しいために、行っているのです」
いや、この気持ちは大切です。
なぜなら、そこには、人とのつながりを求める気持ちが、その親切な行動の動機だからです。
また、自己存在の認知、自己の存在を肯定されたい、お気持ちもあるかもしれません。
でも、これらを人として抱くことは、何の不思議もありません。
人に対して何かをしてあげたい、親切にしてあげたい。
そして、何らかの行為をして差し上げる。
それが、人の役に立つものであるならば・・・。
立派なお気持ちだと思います。
そうですね。
自分の気持ちを詮索しない方がいいかもしれません。
自分が行おうとすることの真の動機は何だ?
「感謝されたい」、「ありがとうの言葉が欲しい」。
それでいいのではないでしょうか。
それが、人のお役に立っているのであれば。
「善」の行いです。
相手も喜び、自分も欲している言葉等が頂ける。
客観的に考えれば、相互交換でもあります。
お互いがお互いを満たしている。
何の問題もありません。
ただ、大切なこと。
あまり無理をして、そのことを行わないこと。
自分の容量、限界を超えてまで、無理をしないこと。
せっかくの親切心があってその事を行っても、無理を重ねると、継続することが難しくなります。
自分を満たすために、人に親切にすることは、人が人として在るために、何の問題もないと思いますが、そのために無理を重ねると、自己犠牲となります。
自己犠牲を強いてまで、人の為となると
自分を大切にしていないのではと、思えてしまいます。
こちらの方が問題です。
自分を大切に、そして、人も大切に、親切な行いをする。
そして、その自分が感謝される。
この行為を通して、自己の存在が認めら、肯定されるのです。
生き方、在り方として、問題ないと、私は思います。