礼儀正しさと対人関係能力:礼儀が心の「鎧」になっていませんか?
「礼儀正しい子だね」
あなたは、かつてそんな風に言われた経験はありませんか?
私には、中学時代に父から言われた記憶があります。
当時、緊急連絡網があり、各家庭に電話を回す役目を担っていました。
私が次の生徒の母親に、きちんと敬語で要件を伝えているのを父が聞き、「礼儀正しい」と評価したのです。
しかし、その言葉は私にとって、決して嬉しいものではありませんでした。
なぜなら、当時の私は対人関係能力に欠けた子供だったからです。

1.「礼儀正しさ」が自己防衛の手段になる時
確かに、私は敬語も使え、振る舞いも礼儀正しかったと思います。
しかし、その根底には、友達と親密に関わる経験の不足や、親との不適切な関わりの中で培われた、自分を抑圧する傾向がありました。
コミュニケーション力、社交性、そして思いやりといった対人関係能力を育む機会が少なかったのです。
対人関係能力は、幼い頃の親との関係性、そしてその後の様々な人間関係を通して獲得されていくものです。
しかし、もしそれが十分に育まれなかった場合、私たちはある「形」を身につけることで、自分自身を守ろうとすることがあります。
私にとって、それが「礼儀」だったのです。

礼儀とは、ある種の「形」を身につけることです。
そして、対人関係能力という「中身」が不足していた当時の私は、その「形」を堅く維持することで、何とか自分を保っていたのだと思います。
「形」を維持して振る舞う。
しかし、心の奥底では、相手に深く踏み込まれることを嫌い、あるいは、踏み込ませないように努める。まるで礼儀という名の「鎧」を身にまとっているかのようでした。
なぜなら、もし相手に踏み込まれたら、どう対応していいか分からない。
心の準備ができていない。
だからこそ、礼儀という「形」を堅持し、その「鎧」をまとって、表面的な付き合いを望む。
あるいは、誰も自分の中に土足で入ってきてほしくない、そんな思いが私の中にあったのでしょう。

2.礼儀正しさと対人関係能力のバランス
もちろん、礼儀は社会生活を送る上で非常に大切なものです。
しかし、礼儀ばかりを重んじすぎると、かえって堅苦しい印象を与えてしまいがちです。
また、いくら礼儀正しくても、それがあなたの人間的な魅力を十分に引き出し、人と親密な関係を築く妨げになってしまうこともあります。
大切なのは、礼儀正しさと対人関係能力のバランスです。
私の話に戻ると、私は親しい人に自然に手を振って歓迎の意を示すといった、ごくシンプルな対人関係行動が心からできるようになるまで、実は35歳頃までかかりました。
それは、少しずつ自分の心の殻を破り、新しい自分へと踏み出せた瞬間だったのかもしれません。

もしあなたが、かつての私のように「礼儀正しい」と評価されつつも、どこか人との間に距離を感じているとしたら、それはもしかしたら、礼儀が「心を守る鎧」になっているのかもしれません。その鎧を少しだけ緩めてみることで、人との関係性がより豊かになる可能性を、ぜひ考えてみませんか?