社会的ひきこもりのご相談を承らない理由~私の専門領域について
社会的ひきこもり。
この言葉が指し示す状態は、当事者やご家族にとって計り知れない苦痛を伴います。
しかし、私は現在、社会的ひきこもりに関するご相談を承っておりません。その理由について、正直にお話しさせてください。
心理的ひきこもり経験者ですが、社会的ひきこもりの経験はありません
index
1.私が「社会的ひきこもり」のご相談を承らない理由
2.私の経験は「心理的ひきこもり」という自己防衛でした

1.私が「社会的ひきこもり」のご相談を承らない理由
私が「社会的ひきこもり」のご相談を承らないのは、その実体験がないからです。
心理カウンセリングにおいて、カウンセラー自身の経験や共感性は、クライアント様との信頼関係を築き、適切なサポートを行う上で非常に重要だと考えています。
ここで、私が考える「ひきこもり」について、二つのタイプを明確に区別して説明させてください。

a)心理的ひきこもり
社会活動(学校、仕事など)を外見上は行っているものの、誰にも心を開かず、内面で孤立している状態の方を指します。かつての私が、まさにこの「心理的ひきこもり」でした。
b)社会的ひきこもり
心に抱える問題から社会活動を行うことができず、自宅(部屋)にこもっている状態の方を指します。
私は、心理的ひきこもりに関するご相談は承っておりますが、社会的ひきこもりに関するご相談は承っておりません。
社会的ひきこもりの方々が、社会活動ができず、ずっと家や部屋にこもり、どれほど辛い気持ちでいるかは、頭では理解しているつもりです。しかし、その感情や感覚を、私自身が実際に経験したことがないのです。この点が、私が社会的ひきこもりのご相談を専門としない大きな理由です。

2.私の経験は「心理的ひきこもり」という自己防衛でした
私の「ひきこもり」の経験は、先に述べた「心理的ひきこもり」に該当します。
小学生の頃から、私は心を閉ざして学校に通っていました。
学校の教室では、まるで自分の気配を消すかのように振る舞い、感情や感覚を止めて、何も感じないように努めていました。
クラスの様々な出来事にいちいち反応していては、その場に居続けることが難しくなり、学校に行くこと自体が大きなストレスになり、通学が困難になっていたでしょう。
自分の気配を消し、無感情、無感覚の状態でそこに居続ける。
これは、私がその場に存在するために選択した、切実な自己防衛手段でした。
いるのかいないのか分からない存在になることで、自分を守っていたのです。
そして、23歳(1988年)から会社員として働き始めました。
この時、今まで誰とも心を通わせずに過ごしてきた反動として、社会性や対人スキルが不足している現実を突きつけられました。

会社では、学校のように自分の気配を消す自己防衛手段は通用しません。
自分が主体的に動き、活動しなければならず、常に周囲からも見られているという状況は、私にとって相当な心理的苦痛を伴いました。「毎日辞めたい、辞めたい」と思いながら通勤していたものです。
しかし、当時の私には、自宅にひきこもるという発想が全くありませんでした。
ひきこもるという選択肢自体が存在しなかったのです。
当時、「ひきこもり」という言葉自体が、今ほど一般的ではなかったことも関係しているかもしれません。
私の人生を「ひきこもり」という言葉に照らし合わせて振り返ると、48歳の時に脳神経の不調により体が動かせなくなり(いわゆる生体反応)、1年近く部屋を暗くして寝ざるを得ない状況に追い詰められましたが、それ以外に、私は自宅に「ひきこもった」経験はありません。
今では、逆にずっと家にいるとストレスやイライラ感が高まるほどです。
このように、私には心理的ひきこもり(社会に居続けるための自己防衛手段)の経験はありますが、社会的ひきこもりとして社会活動を断ち切った経験はありません。
そのため、その経験がない社会的ひきこもり状態の方へのカウンセリングは、現時点では承っておりません。
ご理解いただけますと幸いです。