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親の様々な「問題のある育児態度」とアダルトチルドレン

子どもの心の健やかな発達を阻害してしまう、親の養育態度にはどのようなものがあるのでしょうか。ここでは、子どもに与える影響という視点から、いくつかのタイプに分けてみていきたいと思います。

子供の心に問題が生じる親の育児態度の様々

Index
1.過干渉:子どもの「自己」を奪うコントロール
2.過保護:愛情という名の「成長の機会剥奪」
3.暴力:心と体を蝕む「絶対的な否定」
4.寄りかかり:子どもの「役割の転倒」
5.拒否:「存在の否定」という悲しみ

1.過干渉:子どもの「自己」を奪うコントロール

「干渉」とは、文字通り、他人のことに立ち入り、口出しをすることです。
親子の関係においては、これは子どもの行動や考えを過度に制限し、コントロールしようとする態度を指します。

例えば、日常的な「どこへ行っていたの?」、「誰といたの?」といった詮索から、子どもの持ち物を勝手に調べる、友人関係にまで口を出す、将来の進路を親が決める、といったことまで多岐にわたります。

過干渉な親に共通して見られるのは、「子どものことを全て把握したい」、「自分の思い通りに動かしたい」という心理です。

子どもが親に反抗する力を持っていれば、時には衝突しながらも自分の意思を貫こうとするかもしれません。
しかし、反抗する術を持たない子どもは、何を言っても親に聞き入れてもらえないと悟り、やがては諦めて親の言うがままになってしまいます。

このような環境で育った子どもは、「自分で考えて行動する」機会を奪われ、自己決定能力が育ちにくくなります。
また、親の機嫌を損ねないよう常に顔色を伺うようになり、自分の感情や欲求を抑圧する傾向が強まることも少なくありません。厳格な躾けも、この過干渉に含まれる場合があるでしょう。

2.過保護:愛情という名の「成長の機会剥奪」

親が子どもを慈しみ、守り育てることは、本来、微笑ましく尊い行為です。
しかし、それが「度を超す」と、子どもの成長にとってマイナスに作用することがあります。
過保護とは、親が子どもを溺愛するあまり、あたかもペットのように扱い、子どもの自立を妨げてしまう状態を指します。

「心配だから」と、子どもがすべきことを先回りしてやってしまったり、危険や失敗を過剰に避けさせようとしたりする言動がその典型です。
子どもは親から愛されていることは理解していますから、親の行き過ぎた言動や行為を受け入れてしまうでしょう。

しかし、親からの一方的な世話や管理が続くことで、子どもは本当に自分がしたいこと、自分でやってみたいことを経験する機会を失います。

その結果、「何を言っても、どうせ聞いてもらえない」と諦めを抱くか、あるいは「自分は何もしなくてもいいんだ」という誤った思考パターンを身につけてしまうかもしれません。

過保護な親の愛情は、多くの場合、親自身の主観や願望に基づいた「一方的なもの」であり、子どもの気持ちに寄り添う「共感」が欠けていることがあります。

親自身はそれに気づいていないことも少なくありません。
そして、その根底には「これだけこの子を愛している」という自己満足が潜んでいるケースもあるのです。

3.暴力:心と体を蝕む「絶対的な否定」

ここでの「暴力」とは、身体的な暴力だけでなく、言葉の暴力も含まれます。
子どもが何か気に障ることをしたり、親の機嫌が悪かったりすると、叩く、罵倒するといった行為が日常的に繰り返されるケースです。

これは、親が子どもに対して「絶対的な否定」を突きつけることに他なりません。

ある時は優しく、ある時は八つ当たりをするなど、親の感情のままに態度が豹変することもあります。
このような環境で育つ子どもは、「いつ叩かれるのだろう」、「また罵られるのではないか」と日々怯えながら過ごし、常に親の顔色を伺うようになります。

度を越せば、精神的な破綻をきたしてしまう可能性も否定できません。

身体的な傷は癒えても、心に刻まれた暴力の記憶は深く残り、自己肯定感の欠如や人間関係における恐怖心など、長期的な影響を及ぼします。

4.寄りかかり:子どもの「役割の転倒」

「親が子どもに寄りかかる」とは、一体どのような状況を指すのでしょうか。

一見すると理解しにくいかもしれませんが、アダルトチルドレンのカウンセリングをお受けする中で、この問題は決して珍しいことではありません。

具体的には、親が自身の不満や悩み、パートナーへの不平不満、あるいは他者への批判などを、子どもに打ち明けるケースが挙げられます。
本来であれば夫婦間で話し合うべきことを、子どもに「聞かせ」、「訴える」のです。

これは、夫婦関係の希薄さやコミュニケーション不足が背景にあることが多く、結果として子どもが親の「代役」を担わされる形になります。

幼い頃からこのような役割を強いられた子どもは、「親のために頑張らなければ」、「私がこの親を支えなければ」といった気持ちを強く持つようになります。

これは、子どもらしい自由な感情や行動が制限される、「子どもらしさの喪失」を意味します。

また、親のどちらかが病気などで心身が不安定な場合、看病する親がその不安を子どもに漏らすこともあります。
親の不安な気持ちは理解できるものの、その不安を子どもに背負わせることは、果たして妥当と言えるでしょうか。

不安な親に「寄りかかられた」子どもは、「自分がしっかりしなければ」と無理をしたり、親の不安に飲み込まれてしまったりすることもあります。

親自身の人間としての未熟さや頼りなさを子どもに押し付けると、子どもはまるで親の「パートナー」であるかのように振る舞い、幼いながらも親を支えようとする傾向が見られます。
しかし、これはいつまでも続けられるものではありません。

子どもには子どもの生活があり、自己を確立するプロセスがあります。

親が常に遠慮なく寄りかかってくることで、子どもは息苦しさや、再び親に依存されるのではないかという不安感に苛まれ、心の安定を保つことが難しくなります。常にビクビクしたり、神経質になったりすることもあるでしょう。

a)親の代役を果たした子どもの「強さ」と、その裏側にあるもの

一方で、親のパートナーの役割を演じることで、幼い頃からしっかりとした責任感のある性格になる子どももいるかもしれません。
この場合、一見すると自己信頼感があり、自信を持っているように見えることもあります。

しかし、私は「自己信頼感」とは、親から無条件に愛され、認められ、褒められることによって育まれるものだと考えています。
親のパートナーとして役割を演じることで得られる「強さ」は、表面的なものに過ぎないのではないでしょうか。

その「強さ」という名の鎧をまとっていたとしても、その内面は脆いものかもしれません。
本当は、子どもらしく遊び、甘えたかったのに、それが許されなかったという、満たされない思いが隠されている可能性があるからです。

親に寄りかかられ、パートナーの役割を演じるということは、子どもとして十分に愛されていないというメッセージを、無意識のうちに受け取っていることでもあります。
同時に、子どもは「子ども時代」そのものを喪失してしまうのです。

5.拒否:「存在の否定」という悲しみ

最後に、親の育児態度の中で最も根源的で、深く子どもの心を傷つける可能性のある「拒否」について触れます。

「拒否」。

それは、自分の存在そのものを否定されることほど、辛く悲しいことはないでしょう。
拒否とは、まさに「存在の否定」なのです。

これまで自己信頼感と親の育児態度について述べてきましたが、もし赤ちゃんが生まれた時から親に「拒否された」と感じたとしたら、どうなるでしょうか。
彼らは「生まれてこなければよかった」、「自分には価値がない」と、幼心に感じてしまうかもしれません。これを「基本的不信」と呼びます。

自分自身に対して、そして周りの世界に対して深い不信感を抱くようになり、「自分は愛されるに値しない存在だ」と思い込んでしまうのです。

この「拒否」をもう少し広い意味で捉えてみましょう。
子どもが自由に何かをすること、動くこと、話すことに対して、親が何らかの制限を加えたり、受け入れなかったりすることも、広い意味での「拒否」と考えることができます。

このように考えると、ここまで見てきた「過干渉」、「過保護」、「暴力」、「寄りかかり」といった育児態度は、直接的であるか間接的であるかにかかわらず、「拒否的」な側面を含んでいると言えるでしょう。

これまで、子どもの心に問題が生じる様々な親の育児態度について見てきました。
これらの例はすべて、親子間の「機能不全」の問題であると私は認識しています。
そして、これらの問題こそが、アダルトチルドレンが抱える「生きづらさ」の根源となっているのです。

ご自身の育ち(親子関係)を振り返り、もし「生きづらさ」に対して、心当たりのある方がいらっしゃいましたら、それはあなたのせいではありません。

そして、その生きづらさは改善できるものです。

時間はかかるかもしれませんが、悩みの相談、問題解決に対して、心理カウンセリングは役立つと認識しております。

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