鬼の面が取れなかった母
母がこの世を去ってから、今年で10年が経ちました。
私にとって、母は狂気的な存在であり、私に不安を植え付け、人生の方向性を決定づけてしまった人です。

親の影響があろうとも、それは結局、「自分の人生」。
自分で立て直し、自分らしく生きることが大切だと常々考え、説いてはいます。
しかし、脳内に深く「不安」を刻まれると、それが暴発し、一歩も先に動けない。
そうした状況によく陥るものです。
さて、狂気的であった母ですが、その態度(子どもを私物化、反抗は許さない、気に入らないと怒鳴るなど)の裏には、母自身が心理的な葛藤を抱えていたのではないか、と最近になって感じるようになりました。

素直さを壊し、不幸をもたらすべきだったのか?
1.「二人の私」という写真
2.「私は素直じゃない」という言葉
3.素直に生きなかった結果
1.「二人の私」という写真
10年前、母の遺品を整理していた時のことです。
母のアルバムから、「2人の私」と記された2枚の写真を見つけました。
写真が2枚並んでいただけで、母が単にそれをタイトルにした、とは思えません。
母はそのような単純な人ではないと認識しています。
私の勘ですが、この写真の真の意味は、 「素の私」と「無理をして振る舞っている私」 この対極に基づく、母自身に対する意味があったように思えてなりません。
その根拠は、母が旅立つ1年ほど前、母自身が私に打ち明けてくれた言葉です。

「私は人の顔色を伺う癖があり、人と打ち解けるのに時間がかかる」。
また、母は成績の悪い私を叱責し、罵倒していましたが、実際、母自身はガリ勉タイプで、高校は進学校に進学したものの、成績は徐々に悪化し、理数系では赤点を取っていたそうです。
母の中には、「優秀な自分でありたい」という強い想いがあったのではないでしょうか。
しかし、結局、その想いは果たせなかった。

2.「私は素直じゃない」という言葉
私は母と75年の付き合いでしたが、未だに、母が発した言葉で「バカげたことを言うな」と思ってしまうものがあります。 それが
「私は素直じゃない」 というセリフです。
なぜ、このような言葉を口にしたのでしょうか。 素直であれば、何か問題があったのでしょうか?
考えてみましょう。
母の本質的な性格は、内気で臆病。
しかし、母は長女であり(父は戦地で他界)、2人の妹を抱え、自分がしっかりして家を支えなければならないという思い込みを形成したとすれば、どうでしょうか。
内気で臆病な性格では、その役目は務まりません。
したがって、母は学生時代より、猛勉強に励み、生徒会副会長(当時の会長は男子)を務め、活発で、自己主張が強く、強気な人間へと、本来の自分とは真逆の自分を作り上げることに懸命であったのかもしれません。
全ては、家を支える存在になるために。

しかし、それはやりすぎでした。
自分の強気な主張を強め過ぎた結果、他の生徒を排除したり、見下したりして、恨みを買ってしまったようです。(卒業の寄せ書きから、その事実を知りました)。
そして、子どもである私に対しても、本当はもっと優しく接したかったかもしれません。
しかし、母から見れば、私は勉強の出来ない期待はずれな子。 だからこそ、必要以上に罵倒や叱責が強すぎたのかもしれません。

3.素直に生きなかった結果
物事にはバランスが不可欠です。
内気で臆病な面があった母ですが、それに対して、自分が勝手に作り上げた思い込み。
「しっかりして、家を支えなければならない」。
これを果たすために、無理をして強気の自分を作り上げました。
そして、いざ、その強気の鬼の面を外そうとしても、外れなくなってしまったのかもしれません。
母自身にも優しさはあったと思います。
しかし、その面を出すことは出来なかった。
少なくとも、私には。
まるで、母は強気の鬼の面に、自身自身を乗っ取られたように感じます。
そして、母は幸せだったのでしょうか?

笑い声の溢れる、楽しい家庭をつくることには失敗しました。
それは、強すぎる母の存在によるものです。
さらには、散々母に罵倒され続け、鬼の如く怒りの塊となった私の存在もあります。
「私は素直ではない」。
母の人生を振り返って思うことは、「素直な人生で良かったのに」という一言に尽きます。
思い込み。
「しっかりしなければならない」 。
「成績は優秀でなければならない」。
「活発でなくてはならない」 。
「一流の会社に子どもを就職させなくてはならない」。
これらの思い込みに共通するキーワードは、 「優秀であれ」「完璧であれ」 だったのではないでしょうか。
2つの顔を持つ母。
人間誰でも、複数の顔を持っているでしょう。
しかし、無理につくりあげた顔は、本来の自己を失わせ、自分や他者を蝕んでいくのかもしれません。
