親の過剰な「愛」が子どもを蝕むとき:親の支配から生まれる心の歪み
良かれと思った「親の愛」が子どもの自己肯定感を奪うメカニズム
「あなたのために、これだけしてあげたのに」。
親からそう言われた経験がある方もいらっしゃるかもしれません。
子どもを愛し、育むことは親として当然の喜びであり、大切なことです。
しかし、その「愛」が過剰になったとき、子どもにとってそれは大きな問題となり得ます。
では、一体どのような行動パターンが、この「過剰な愛」のサインなのでしょうか。
a)子どもの行動範囲を制限する:常に自分の目の届く範囲に子どもを置いておきたがる傾向があります。
b)過剰なまでの世話と援助:子どもに多くのものを与え、子どものために何でもしてあげようとします。そして、その行為を通じて親自身が満足感を得ます。
c)極度の心配性:少しのことで過剰に心配し、子どもが困難に直面する前に先回りして問題を解決しようとします。
d)子どもの役割を奪う:本来子ども自身が経験し、学ぶべきこと、例えば身の回りのことや課題などを親が代わりにやってしまいます。
これらの行動は一見、子どもを大切にしているように見え、子ども自身もある程度は楽に感じるかもしれません。
しかし、成長するにつれて、この「楽さ」が大きな負担となり、深刻な問題を引き起こす可能性があるのです。

Index
1.親の支配が奪う子どもの「自己効力感」と「自己信頼感」
2.自己表現の欠如が招く「受動攻撃性」と人間関係の困難
1.親の支配が奪う子どもの「自己効力感」と「自己信頼感」
3歳頃までの子どもは、親の保護のもとで生活するのが自然です。
しかし、やがて子どもは外の世界に興味を持ち、少しずつ冒険を始めます。
この「冒険」を通じて子どもが得られるのは、「自分は親から離れても、自分の力で何かを成し遂げられる」という自己効力感です。
そして、この自己効力感は、自分自身を信じる力である自己信頼感と密接に結びついています。
親の過剰な愛によって冒険する機会を奪われ、常に親のテリトリー内に留まることを強いられた子どもは、この自己信頼感を獲得する機会を失ってしまいます。
自分の思い通りにさせてもらえないことへのストレスや、どうすることもできないという無力感を抱くこともあるでしょう。

また、子どもが自立的に考え、行動する機会を親がすべて奪ってしまうことで、子どもは自ら積極的に動くことをしなくなります。
親が何でもするということは、子どもは常に受動的な状態に置かれるということです。
その結果、自分から行動することなく、考えることもなく、ただ指示を待つだけの状態になってしまいます。
当然、行動を通して得られるはずの自己信頼感は育まれません。

2.自己表現の欠如が招く「受動攻撃性」と人間関係の困難
さらに、常に受動的で、自分の欲求を親に満たしてもらっている子どもは、自己表現を控えるようになります。
あるいは、自己表現をしても親が「良かれと思って」すべて決めてしまうため、自己表現そのものを諦めてしまうかもしれません。
しかし、内心では「自分の好きなことができない」という苛立ちや怒りが鬱積しているのです。
そして、常に待ちの状態で、自分から要求を表現することもないため、周囲に自分の欲求が理解してもらえません(当然、表現しないので理解されようがありません)。
その結果、自分の要求が満たされなかった時には、激しい怒りや失望を感じることになります。これこそが受動攻撃性です。

このような子ども、あるいは大人になった時、円滑な人間関係を築けるでしょうか。
自己表現ができず、自分の欲求を抑え込んでじっとする。あるいは、本当は自分が何をしたいのか、自分自身の欲求すらも分からなくなっているかもしれません。
こうした状態は、深い無力感に覆われることにつながります。
自己表現ができない、あるいは自己表現のスキルを習得していないため、周囲からは理解されにくく、人間関係においても辛さを感じることが多くなるでしょう。
親の過剰な「愛」は、子どもが本来自分で行動し、要求を自ら満たす力(自ら動き、表現する力)を奪ってしまいます。
そして、それは子どもの自己肯定感を蝕み、人間関係を築く上での大きな障壁となってしまうのです。