相手を喜ばしたい 3つの優しさの動機 サプライズ

人が人のこと思い、何かをして、その相手を喜ばしたい。
この動機に基づく、心理的背景は3つあると思います。
(今回は、親しい相手を喜ばす、ということをテーマとして書きたいと思います)。

1 相手から直接、何かをして欲しいと頼まれ、期待に応える場合
2 主観的 相手を喜ばしたいと思う気持ちが強い場合 サプライズ感を意識
3 客観的 相手の立場たち、コミュニケーションも参考に相手の喜ぶことをする

1 相手から直接、何かをして欲しいと頼まれ、期待に応える場合

私たちは普段から相手のことを意識していても、相手が何を困っているか、何を欲しているか、分からない時は多々あると思います。

そんな時、具体的に相手から「〇〇して欲しい」等と言われると、相手が今、真に何を欲しているかが分かり、直接具体的に相手の欲していることを満たすことが出来、相手を喜ばす、満足して頂ける行為へとつながります。

相手から直接、発せられた要望、欲求を満たす行為です。

2 主観的 相手を喜ばしたいと思う気持ちが強い場合 サプライズ感を意識

文字通り、自分が相手を喜ばしたい思いが強く、相手のために何らかの行為を行う場合です。

しかし、この喜ばしたい思いには、落とし穴があります。

それは、あなたが相手を喜ばそうと思っている行為が、本当に相手が望んでいることかどうか、真義のほどが分からないことです。
もしかしたら、相手が全く望んでいないこと、不要なことを、あなたは相手が喜ぶだろうと勝手に思い込んでいるかもしれません。

相手はもっと、他のことを望んでいるかもしれないのに・・・。

例えば、夫婦の場合。
夫は妻にアクセサリーをプレゼントをしたら喜ぶだろうと思っています。
しかし、妻の望むものは、夫と一緒に食事をして、楽しい会話をすることです。

どうでしょう。

この場合、夫が妻にアクセサリーをプレゼントしたところで、妻は喜ぶでしょうか?
喜んだ振りはしてくれるかもしれませんが。

もう1つの例。
私と父の場合です。

私の子供時、父は休日昼食後、コロッケを10個ほど買って帰ってきたことが、都度ありました。
これは、私がコロッケが好きで、父はコロッケを喜んで私が食べると思っていたのです。

しかし、私も昼食後です、いくら好きなコロッケでも、そんなに食べれるものではありません。
父は私を思い、喜ばそうとしてコロッケを10個買って来てくれた。
しかし、私はすでに満腹で、いくら好きでもコロッケを食べれる状態ではなかった。

では、なぜこのような、相違の現象が起きてしまうのでしょうか。

そこには、相手を喜ばしたいと思う気持ちは確かにあるのですが、本当に相手が何を望んでいるのか、相手が今どういう状態か、客観性が欠けているのです。
ですから、私にとって父からの大量のコロッケのプレゼントは、申し訳ないけど、迷惑でした。

私は父に報いるため、無理をして、いつも、3個程食べていましたが・・・。

相手を喜ばしたいという思いは優しさですが、客観性が欠け、主観的に振る舞ってしまうと、結果として、その喜ばしたいという気持ちは、報われないこともあるのです。

また、それ以上に、押し付けとなってしまうかもしれません。

3 客観的 相手の立場にたち コミュニケーションも参考に相手の喜ぶことをする

それでは、真に相手が喜ぶことをしてあげたい、喜ばしてあげるために必要なものは、何でしょうか?

それは、相手が何を望んでいるか知ることです。
そのためには、相手の立場に立ち、何を望んでいるか客観的に認識、把握したうえで、相手のための行為をする必要があるのではないでしょうか。

普段から相手の立場にたち、相手をよく見て、何をしてあげたら、一番喜ぶのだろうか?
洞察、想像力を働かせ、考えることは大切です。

でも、これも実のところは、自分が主体となって、相手の立場になって考えているわけですから、本当に、相手が望むことを、してあげられるているか不明です。
相手はあなたの行為に感謝の念より、喜んだ振りをするかもしれませんが、実のところは、分からない。

これも、主観に基づいているからです。
相手の真意は分からない。

それでは、相手に喜んでもらえる一番確実な方法。

それは、相手が何を欲しているか、相手にさりげなく、聞くことです。
コミュニケーションが大切です。

「でも、それじゃ、サプライズにならない。
ドキドキ、ワクワクもなく、つまらない」、と仰るかもしれません。

さて、どちらを取るか。

サプライズ感を大切に、喜ばせてあげることを考えるのか。
しかし、そのリスクは的外れの行為の場合もあります。
それでも、いや、それも承知のうえ、サプライズに基づき喜ばせてあげたいという心が、何よりも大切だと割り切るか。

いや、そうではなく、確実に相手を喜ばしてあげたい。
だから、聞く、教えてもらう。
サプライズ感は半減するかもしれませんが。

相手を喜ばしたい気持ちは大切ですが、その主役は相手であり、相手の希望を知ることは大切だと思います。

私は、そのために大切なことは、日々のさりげないコミュニケーションだと考えています。

それから、サプライズ感ですが、一体誰の何のために、この感覚を重視するのでしょうか?

サプライズ感云々を考えなくても、行為を受けた人は喜んでくれると思います。
そして、日々、その行為、喜ばそうとしてくれた気持ちは、そのことを思い出す都度、じわじわと、相手の心に深く染み込んでいくと、私は思っています。