自己喪失感|自分を大切にできない人たち
現代の社会風潮や、日々寄せられる心の悩みを見つめていて強く感じるのは、**「自分を持っていない」**という感覚を抱えている方が非常に多いということです。
「自分を持っていない」という状態を具体的な言葉で表すなら、「自分が自分のことを分かっていない」「自分を理解できていない」「自分自身とつながっていない」。そのような、自己との断絶が起きている状態を指します。
私はこれを、「自己喪失感」と呼んでいます。

「自己喪失感」は、いわば現代特有の「心の病」や「心の問題」と言えるかもしれません(医学的な精神疾患の定義には存在しませんが、実態として多くの人を苦しめています)。 すなわち、自分を見失い、自己感覚が不確かになっている状態。
そして、常に他者を優先するあまり、自分を大切にできなくなっている状態です。
では、何が現代社会においてこの「自己喪失感」をもたらしているのでしょうか。
なぜ、私たちは自分を後回しにしてしまうのでしょうか。
その原因と症状について、日本特有の社会的要因から紐解いていきます。

自己喪失感をもたらす様々な社会心理の要因
Index
1.社会からの「押し付け・強制」と「禁止」
2.同調圧力(仲間外れへの恐怖といじめへの不安)
3.「空気を読む」という日本人独特の感覚
4.自己喪失感の具体的な症状
5.自己喪失感からの回復のために(個性の尊重と多様性を認める社会)
1.社会からの「押し付け・強制」と「禁止」
私たちは人生の早い段階から、親、学校、そして大人になってからは会社や社会風潮といった、多方面からの圧力を受けて生きています。
これらは大きく分けて、「強制(〜〜しなければならない)」と「禁止(〜してはいけない)」の2つに分類できます。
しかし、これらの多くは根拠が乏しく、時代背景によっては実現不可能なことを一律に求めているように思えてなりません。
【私たちがさらされている「べき論」の例】
・常に明るく振る舞わなければならない
・友達は多くなければならない
・親孝行をしなければならない
・勉強(あるいはスポーツ)ができなければならない
・正規雇用で働かなければならない
・就職後は昇進・昇級し続けなければならない
・周囲と同じように振る舞わなければならない
・結婚して家庭を持たなければならない

書き出せばきりがありません。
私たちは、親や組織、社会風潮という「得体の知れない価値観」に基づく強制と禁止にさらされ、自分自身を十分に発揮できない時代を生きています。
これらは強い「自己抑圧」をもたらし、自由を奪い、「自己喪失感」の大きな要因となります。
集団からの無言の圧力は、時に個人の尊厳を破壊し、望まない人生を歩ませることにもなりかねません。
これは、自分を大切にできていない状態と同義なのです。

2.同調圧力(仲間外れへの恐怖といじめへの不安)
「同調圧力」という言葉は、SNSの普及とともに頻繁に耳にするようになりました。
しかし、「皆と同じであること」を最良とする日本特有の感覚は、古くから私たちの根底に流れています。
「寄らば大樹の陰」、「長い物には巻かれろ」、「出る杭は打たれる」。
これらの言葉が示す通り、大きな勢力に対して反発を抑え、目立つ行動を避け、自分を殺して周囲に合わせる、
ここにも前述した「強制と禁止」が深く関わっています。
同調性そのものが個の尊重を奪い、他者との同質化を強いる以上、その圧力が「自己喪失感」に直結するのは間違いありません。

さらに深刻なのは、同調しない者に対して「悪口」、「仲間外れ」、「いじめ」といった制裁を科す、陰湿な側面です。
同調できない人が、あたかも犯罪者であるかのように誹謗中傷を受けることさえあります。
しかし、なぜ人はそこまで同調性に固執するのでしょうか。
それが社会規範だと思われているのでしょうか。
私が考える本来の社会規範とは、「個の尊重」です(もちろん、法や公序良俗を守る前提ですが)。
同調にこだわる人も、かつては「自分らしくありたい」と願った時期があったはずです。
しかし、平穏に生きるために仕方のなく同調し続けるうちに、いつしかそれが「当たり前」へと価値観が書き換えられてしまったのかもしれません。
行き過ぎた同調性は、自分を大切にする心を蝕む原因となります。

3.「空気を読む」という日本人独特の感覚
自己主張よりも「空気を読む」ことを重んじ、周囲に合わせた言動をとる。
これは日本独自の美徳ともされます。海外では自己主張できない人は評価されない傾向にありますが、日本では「和を乱さない配慮」として肯定的に捉えられてきました。
しかし、現代はこの「空気を読む」文化が過剰になりすぎています。
空気を読んで行動することは、個人の独自性や感性を封印することに他なりません。
これは同調圧力と表裏一体の関係にあります。

常に「周囲はどう思うか」に神経を尖らせ、他者優先で生きることは、自己軽視につながります。
他者の感情に敏感になりすぎることで、結果として甚大なストレスを抱え込んでいる方が非常に多いのが実情です。
他者への配慮と自己主張のバランスこそが重要です。
「他者を大切にすること」と「自分を大切にすること」を両立させる道を探らなくてはなりません。

4.自己喪失感の具体的な症状
次に、自己喪失感がどのような形で心に現れるのか、具体的な症状を見ていきましょう。
a)自己否定
権威ある存在(親、学校、社会)から刷り込まれた「べき論」が価値基準になると、それを達成できない自分を責めるようになります。
この自責の念が積み重なると、強い自己否定感へと変わります。
自分を否定することは、自己の存在価値を失うことであり、「自己喪失感」の核心と言えます。
なお、自己否定は「病気」ではなく、長年の思考の積み重ねによる「脳のクセ」のようなものです。
b)自分への無関心
他者の顔色を伺い、周囲の感覚に合わせることを最優先にしていると、意識の焦点が常に「外側」に向きます。その結果、自分の内側に目が向かなくなり、自分自身に興味が持てなくなるという問題に発展します。

c)感情の麻痺(何を感じているか分からない)
他人の感情を優先し続けると、自分の本心が二の次になります。
その結果、自分が今「嬉しい」のか「悲しい」のかさえ分からなくなる、自己感覚の鈍化(麻痺)を招きます。
d)思考の迷子(何を考えているか分からない)
「他者が何を考えているか」を推測することにエネルギーを使い果たし、自分の意見が後回しになります。他人の頭の中をいくら想像しても正解は出ませんが、それでも他者を優先せざるを得ない環境が、自分の思考を霧の中に追いやってしまいます。
e)過度な気遣いによる疲弊と生きづらさ
「自己喪失感」の根源は、自分より他者を優先しすぎることにあります。
自分の生きたいように生きられず、自己表現を封じられていては、強いストレスを感じて当然です。
自分を大切にできる唯一の存在は自分自身です。
その「自分」が機能不全に陥っているからこそ、深い生きづらさが生じるのです。

5.自己喪失感からの回復のために(個性の尊重と多様性を認める社会)
「自己喪失感」とは、言い換えれば「自己感覚の喪失」です。
自分の思い通りに振る舞えず、発言できず、常に他者の視線に怯える。このアンバランスが、私たちから自由を奪っています。
もちろん、行き過ぎた個人主義は協調性を乱しますが、行き過ぎた同調性は個を破壊します。
必要なのは、自己と他者の健全なバランスです。
社会の在り方として、「これができなければダメ」、「こうあるべき」という強制や禁止を緩め、もっと自由に、一人ひとりの個性や価値観、生き方を認め合うべきではないでしょうか。
ある特定の物差しで人の価値を測ってしまうと、そこから外れた人は「自分はダメ人間だ」というレッテルを(社会から、あるいは自分自身で)貼られてしまいます。
自分に「ダメ人間」というレッテルを貼ることは、究極の自己嫌悪であり、自分を大切にしていない証拠です。

社会で生きる以上、規範や秩序は必要です。しかし、その枠組みの中で「自由に生きる権利」を確立することが不可欠です。
現代は自由を謳いながら、その実、不自由すぎる側面が多々あります。
「同調」ではなく「協調」を。
他者と歩調を合わせつつも、個としての自分を尊重すること。
これこそが、現代の心の病とも言える「自己喪失感」を乗り越えるための、大切な一歩になると信じています。
