繊細な人の社会環境適応力の問題

はじめに。
本文では、社会環境適応力という言葉を使っていますが、社会環境適応力は主として、人間関係適応力の意として書かせて頂いております。
ご了承ください。

繊細さと社会環境適応力について

繊細な人。
他者の感じていることが何となく分かり、他者の自分に対する思い(良し悪し含め)も何となく伝わってくる、また、大きな音、ざわざわした雰囲気が苦手、心配性で不安感の強い等。

繊細さとは、このように様々な繊細さがありますが、繊細は感性であり、敏感さ、感受性の高さとも言えましょう。

繊細な人の共通項としては、様々な刺激に強く反応する感性を備えていることだと思います。
(感性が反応する対象は繊細な人によって違いますが)。

このような、繊細な人と、社会環境適応力の問題は関連性があるのでしょうか?

私の結論から書くと、繊細な人の社会環境適応能力は高くないと考えます。

さて、繊細の言葉とは反対に鈍感という言葉があります。
近年では鈍感力とも言われています。

鈍感な方とは、あまり深く物事悩みこまず、楽天的、感性もおおらか、自己本位な面も多少あり、人間関係や物理的な環境の問題で悩むことは少なく、それゆえ社会環境適応力も高く、鈍感さは、生きやすさと、言葉を使っても良いと考えます。

しかし、行き過ぎた鈍感は、他者の心が理解出来ず、自己中心的な振る舞いも多くなり、社会環境不適応となりますので、注意が必要です。

そして、繊細な人。

いろいろと、他者の気持ちが分かるばかりに人間関係で苦労が多かったり、相手の気持ちに焦点を当てすぎるばかりに自己主張が出来なかったり、未来に対する心配が強すぎ常に不安を感じたり、いろいろな刺激(視覚、聴覚、臭覚等)に対して過敏に反応してしまう辛さは私も分かります。

(実は私も繊細な方で、聴覚過敏があります。したがって、人混みのザワザワ感、落ち着きのなさは苦手です)。

それでも、繊細とは、鈍感力とは真逆の能力であることも確かです。

そして、繊細さとは何らかの才能の基にもなるのではないでしょうか。

繊細過ぎて生き辛いと思われている方、すなわち過敏の方は、どうすれば、過敏すぎる繊細さを抑えられるか、そして、いかにすれば、自分の繊細さが自分の力、才能、生きる武器となるか、じっくり考えてもいいでしょう。

鈍感を「剛」の力と捉えるならば、繊細さは「柔」の力なのです。

柔とは柔軟に、しなやかな枝のような力、吹く風に逆らうわけでもなく、適度にやりすごし、かつ、凛とした、内に秘めた、しなやかな強さを発揮することも可能でしょう。

柔は剛にはなれず、この意味においても、繊細な人が鈍感な人になることは不可能です。
しかし、繊細な人の過敏さ(過剰反応等)を弱めることは、事態状況によっては可能であり、自分が繊細な人であって良かったと思える日もくるのではないでしょうか。

繊細さと人間関係という社会環境適応力について

ここからは、社会環境適応力を人間関係適応力として書き進めます。

繊細な人が大勢でワイワイ騒いで楽しむイメージはありませんが、繊細な人は非繊細な人より、何となく人の気持ちも分かり、その人の心に寄り添いながら、話しを聞くことも出来るでしょう。
そして、話しを聞いてもらった人は感謝の気持ちを抱かれることでしょう。
これは、ひとつの才能の発揮です。

しかし、繊細な人が人の話しを聞く際、どこまでその話しを聞き続けていいか分からず、聞き続けないと嫌われるのではないかと相手本位になり、聞くのがしんどくなってきても無理をして聞き続ける、過剰に聞き続け、話しを聞くことじたいが嫌になり、人と接することを控えてしまう。

そして、そのような自分を嫌悪したり、否定してしまう。

実は、繊細の人の問題は過剰、「過」なのです。
「過剰」、「過敏」。
過ぎるのです。
バランスが良くないのです。

したがって、「過」に対して、いかに対応すれば良いのか、心理カウンセリングを受ける等、繊細、過敏さにおける自分の長所や対処法を学び、「過」を抑え、適度(適当でも良いでしょう)さを発揮すれば、社会環境適応能力も高まり、自己嫌悪、自己否定は弱まり、逆に自己承認、自己肯定感、自信を高めることも出来るのではないでしょうか。

繊細さを自己の強み、力として、社会環境に適応しながら生き抜くことは出来ると思います。

また、それでも今の社会生活おける環境に、どうしても解決出来ない問題(居心地の悪さからくるストレス)がある場合は、自分に適した社会環境を探すことも大切かもしれません。
それは、心地良い環境、居場所を探す冒険となるでしょう。

繊細な人は未来への不安から冒険を好まれないかもしれませんが、置かれた場所ではなく、自分が花を咲かせる場所を探すことも大切なのです。

繊細さという天賦の才を握り、自分を信じて、前進して頂きたいと思います。