帰り際に「余計な一言」を言う人の心理
自己制御力の低い人は最後に油断から余計な一言を言い放つ
「言わなくてもいい一言」を、なぜか最後の最後に言ってしまう人がいます。
これまで真剣に話を聞いてくれていたのに、別れ際に突然、上から目線のアドバイスや、批判的な一言を投げかけられると、心が深く傷つきます。
この行動の背景には、一体何があるのでしょうか。
Index
1.自己制御力の低さと「油断」
2.「共感のふり」と傲慢さ
3.自分自身の言動を振り返る(まとめ)

1.自己制御力の低さと「油断」
このような言動は、自己制御力の低さから生まれることが多いでしょう。
相手に批判的な感情を抱いていても、話している間はプロとして、あるいは大人として、その感情を抑えようと努めます。
しかし、役割を終え、緊張の糸が切れる別れ際に、心のタガが外れてしまうのです。
「もう関係は終わったから大丈夫だろう」という油断から、それまで抑えていた本心(批判的な感情)が、ポロッとこぼれ出てしまうのです。
この行為は、相手に大きな虚しさと不信感を与えます。

例えば、不登校やひきこもりの当事者が、自分の苦しみを理解してもらおうと必死に話したとします。
しかし、取材者が帰り際に「いつまでもそんな生活をしていてはダメですよ」と一言残して去ったら、どう感じるでしょうか。
「結局、何も理解してくれていなかったんだ」、「共感しているフリをしていただけで、心の中では軽蔑していたのだろうか」
そう思われても仕方ありません。
それまで築き上げた信頼は一瞬で崩れ去り、対人関係への不信感はさらに強くなってしまうでしょう。

2.「共感のふり」と傲慢さ
相手の苦しみを経験したことがなければ、その感情を心から理解するのは難しいかもしれません。
しかし、だからといって、上から目線で余計な一言を言う権利は誰にもありません。
それは、相手を尊重する姿勢を欠いているだけでなく、「自分の物差しでしか相手を測れない」傲慢さの表れでもあります。
相手の事情や背景を想像せず、自分の価値観だけで「正しい生き方」を押し付けてしまう。
それは、相手を小馬鹿にしている態度だと捉えられても当然でしょう。
プロの仕事人であれば、自身の感情をコントロールし、与えられた役割を最後まで全うすることが求められます。
取材者であれば、取材の時間を終えるまで、個人的な感情や価値観を押し付けず、被取材者への敬意を払い続けるべきです。

3.自分自身の言動を振り返る(まとめ)
私たちは誰しも、自分とは違う価値観を持つ人に対し、批判的な感情を抱くことがあります。
しかし、その感情を言葉にして相手を傷つける必要はありません。
相手を尊重することが難しいとしても、せめて、自制心を働かせ、自分の言葉を律することはできるはずです。
もし、あなたが日々の生活で、つい余計な一言を言ってしまい、後悔することがあるなら、それは自分自身の人間性を見つめ直す機会かもしれません。
自分を律することができない言動の裏には、傲慢さや自己中心的な感情が隠れている可能性があります。
「人は人、自分は自分」。
相手の価値観を尊重し、不要な一言を控えることが、良好な人間関係を築くための第一歩となるでしょう。
