32-父が私に習わせているピアノに対する異常と異様性|小学生低学年
さて、私は幼稚園低学年時より、気がつけばピアノを習っていました。
幼稚園低学年時は東京。
その後、京都市へ引っ越し。
京都市でもピアノは、幼稚園内の教室で、ピアノを習っていました。
おそらく、YAMAHA等音楽教室の先生が、幼稚園のピアノを借りて教えていたのでしょう。
しかし、小学生2年生頃、ピアノの先生が突然、変わったのです。
父の希望であったと思いますが
音楽大学の助教授に習うことになったのです。
父の私に抱く、勝手な夢の暴走のはじまりです。
音楽大学の助教授に個人的に習うということは、ピアニストへ向けて、レッスンをはじめるということです。
それまで、習字、水泳、ビアノの習い事も一変。
音楽教室への通学の開始。
これは、土曜日の午後、学校終了後からです。
4時間程、音楽教室の授業を受けていたと思います。
当時、音楽教室は、京都芸大の中にあり、場所は京都市岡崎、京都市美術館の近くにありました。
そして、日曜日は毎週、音大の助教授の先生に、弾きたくもないピアノを教えて頂く。
レッスンには毎回、父がついて来るといった形式でした。
そして、習字と水泳はやめることになりました。
全ては勝手に、親が決めていたことと思っています。
さて、私に対する、父の異常、異様性と書きましたが、
異常、異様性は、父が仕事から帰った後、必ず、夕食後、私の横にべったり張り付き
私のピアノの指導を行うというものです。
時間は30分から1時間。
実際は見ているだけで、父はピアノをほとんど弾けません。
ただ、私の横にいたかったのでしょうか?
よく、分かりません。
私が理解していることは1つ。
ピアノに介しては、私の意思はまったく尊重されていなかったということ。
しかし、私はピアノをやめたいと言ったことはなく、黙って、親の言う通りにしていただけだと思います。
なぜ、ピアノをやめたいと言えなかったのか、それは、父が悲しむと、子供ながらに勝手に思っていたからです。
この、ピアノ。
私の子供時、青年時の時間と人生を奪い、私が社会不適応者となった元凶です。
もちろん、そこには、身勝手な母の存在もあります。
そして、この時点より、父、母、私の機能不全家族が表面化していくのです。
ピアノと私については、今後、数回に分けて投稿します。
